ユメノオト

ラジオライフ

ラジオのちょっとトクする話

赤れんが庁舎存続は前途多難だった?変化に富んだ歴史に迫る!

f:id:jyumeno:20200630144810p:plain


みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回のユメノのラジオde新発見!は、

世界のあこがれ~北海道ブランド~から。

 

「赤れんが庁舎」こと、北海道庁旧本庁舎についてです。

多くの観光客が訪れる人気のスポット、赤れんが庁舎。

 

そこには、長い歴史と変化がありました。

 

赤れんが庁舎がどのような変化を辿って

現在の姿になったのかを、お伝えします。

 

 

 

北海道のシンボル、赤れんが庁舎

 

札幌の中心部に立つ北海道庁旧本庁舎は、

赤いれんがの壁が印象的なことから、

赤れんが庁舎”と呼ばれ親しまれています。

 

f:id:jyumeno:20200722155708j:plain

 

そんな赤れんが庁舎は、明治時代に建てられた歴史的建造物

北海道のシンボル的存在となっています。

 

海外からの観光客も多く訪れる、人気の観光スポットです。

 

 赤れんが庁舎は現在、

2022年度のリニューアルオープンを目指して休館しています。

 

どんな姿になるのか、楽しみですね!

 

 

明治に建てられた赤れんが庁舎

 

旧赤れんが庁舎が建てられたのは、明治21年です。

しかし、明治42年に火災にあってしまいます。

 

 

省略された八角塔とドーム

 

赤れんが庁舎のシンボルとなっていた八角塔やドームが、

明治42年の復旧工事では省略されてしまいました。

 

その結果、八角塔があったころに比べると

かなりシンプルなイメージの建物になりました。

 

 

当初の計画にはなかった八角

 

明治21年に赤れんが庁舎ができたとき、八角塔は

最初の計画にはなかったのではないかといわれています。

 

途中から、「八角塔をつけなさい」と政府からのお達しがあり

急遽つくることになりました。

 

八角塔を急遽つくったので、風が吹くと微妙に揺れたり

雨漏りを繰り返したりしていました。

 

赤れんが庁舎がつくられてから、わずか8年後に

八角塔と装飾のついた換気塔は全て撤去されてしまいます。

 

換気塔は、いわゆる”空気抜き”で、18基もあったそうです。

 

八角塔と換気塔が全て撤去されたので、

大屋根以外は何もない、という状態になりました。

 

 

予算不足で大火災⁉完備できなかった防災システム

 

明治42年の火災から復活した際は、

八角塔などをつける予算がなかった状態でした。

 

そのため、防火壁などの防火用システムを入れることができませんでした

それが、大火災の原因だといわれています。

 

明治44年の火災後の復旧工事では、これらの繁栄点を踏まえて

以下のような対策を施しました。

 

  • 防火扉を完備
  • 中の天井にメタルシーリングで金属の天井板を改修

 

メタルシーリングで塗った白い天井は、一見すると

しっぺい塗りに見えるそうです。

 

防火のために設置した巨大な防火扉は、今も残っています。

 

 

現在の赤れんが庁舎が、創建時の姿

 

昭和44年、大きな改修工事が行われました。

 

現在の赤れんが庁舎の姿は、実は昭和43年の改修で

ドームが復元された昔の創建時の姿だったのです。

 

みなさんは、ご存知でしたか?

 

今のようなドームのある形になったのは、50年ほど前のことだそうです。

 

 

北海道開拓の”思い”が凝縮された、赤れんが庁舎のドーム

 

先述した通り、八角塔をつくることは当初の計画にはありませんでした。

 

開拓使の主要なポストに就いていた初代長官の岩村通俊(みちとし)は、

北海道開拓に力を注いでいました。

 

しかし、すぐに本州に呼び戻されてしまいます。

 

「これから北海道開拓に力を注いでいくぞ」という気持ちを

見事にくじかれてしまいます

 

そのリベンジを兼ねて、岩村長官は

赤れんが庁舎にドームをつけたのではないかといわれています。

 

なぜ、ドームをつけたのか。

 

その答えは、開拓使がつくった「札幌本庁舎」にあります。

この建物には、ドームがついています

 

岩村長官はそれをイメージして、

どうしてもドームをつけたかったのかもしれません。

 

f:id:jyumeno:20200722160747j:plain

 

開拓の証をドームに込めたかったのか。

それとも、文明の発展が著しい外国の建物の象徴

”ドーム”に影響を受けたからなのか。

 

いずれにせよ、岩村長官の北海道開拓にかける思いが

ドームに凝縮されているような気がします。

 

 

れんがの原料

 

れんがの原料は、焼き物と同じ粘土です。

 

れんがに合う土を探して、その土がある場所に

れんがの工場ができたといわれています。

 

現在北海道でつくられているれんがは、野幌近辺です。

以前は月寒にもれんが工場がありました。

 

 

北海道のれんがの歴史

 

明治5年、開拓使が現在の北斗市

れんがをつくる間接の工場をつくったのが最初だといわれています。

 

この間接の工場というのが、

茂辺地煉瓦石(もへじれんがせき)製造所です。

 

煉瓦の歴史には諸説ありますが、

一般的には、れんが製造はここから始まったといわれています。

 

ちなみに…

 

茂辺地煉瓦石製造所より15、16年前に耐火れんがをつくっていた

工場が近くに遭った、という話もあるそうです。

 

この茂辺地煉瓦石製造所は、茂辺地中心部から

500mほど函館へ戻った丘陵地にある、開拓使唯一のれんが工場です。

 

 

れんがに最適な粘土の探索

 

札幌で建物を建てるとき、函館でれんがを運ぶと

それだけで公費がかかってしまいます。

 

更にそこから札幌まで運ぶとなると、コストがかかってしまいます。

 

そこで、粘土をどこかで取れないか探索したところ…

明治15年頃に、現在の白石区である白石村で

れんがに適した粘土が発見されます。

 

れんがを精算するため、白石村には

れんが工場がつくられるようになりました。

 

その2年後には、鉄道用のれんがを製造する鈴木れんが工場や

月寒の大久保れんが工場ができていきます。

 

この大久保れんが工場は、昭和30年まで生産を続けていました

 

 

当時は、1つの建物をつくるときの材料だった「れんが」。

 

野幌のれんが工場を運営する久保兵太郎(ひょうたろう)が

小説「のぼりがま」のモデルになったことで、

れんがブームは一気に広がりました。

 

 

驚愕!赤れんが庁舎に使用されているれんがの数

 

赤れんが庁舎には、250万個のれんがが使われているといわれています。

 

昭和43年に改修工事を行う際、いろんなところが傷んでいたため

その部分を集めるのが大変だったといいます。

 

250万個ものれんがが使われていますからね。

気が遠くなるような話です…。

 

 

道庁ができたのは、もともとは石狩近辺の湿地帯でした。

そこには、ハンノキという木がたくさん生えていて

燃料にも何もならないものは、すぐに消えてしまうのだとか。

 

 

燃料として、ハンノキを焼いてれんがをつくります

そうすることで、微妙な良い色を出すことができるのです。

 

 

苦戦する改修工事

 

現代ではハンノキを使わずにれんがをつくります。

 

改修工事の際に、れんが職人に

「似たようなものをつくってほしい」と言っても、なかなか

つくれなかったというエピソードもあります。

 

次の改修工事でも、悩むところなのかもしれません。

当時のものを再現しようとすると、すごく手間がかりることがわかります。

 

 

れんが生産工場の減少で、グラデーションがつくれない?

 

北海道で現在れんがを生産しているのは、野幌の一部です。

かつては、白石村、月寒村、豊平村でつくっていました。

 

いろいろなところでつくっていたので、

微妙な色合いをつくりだすことができていました

 

それが1つのグラデーションとなっていたのです。

 

しかし、現在は1、2箇所でしか製造していないため

均一の量でしかつくることができず微妙な色合いが出てきません。

 

あえて色を変えない限りは、綺麗なグラデーションのれんがは

できないというのが現状のようです。

 

技術が確実に進歩しているはずの現代。

それなのに、昔の姿を再現することが返って困難になっている。

 

それは、いかに先人たちの技術が高水準で

素晴らしいものだったかを証明しているのではないでしょうか。

 

 

あてにならない暖房 火災の原因は暖を取る火鉢か

 

極寒の冬、北海道。

 

赤れんが庁舎の建物では、寒さを防ぐために

どんな工夫がなされていたのでしょうか?

 

 

赤れんが庁舎の創建時にはスチーム暖房が入れられました。

 

しかし、ここで1つ大きな問題が立ちはだかります。

 

当時は今のような熱量計算がなかったため、

冬になるとものすごく寒いという状況でした。

 

少しでも暖を取るため、職員各々が机の下に火鉢を置いていました。

火鉢ですから、危ないですよね。

 

案の定、火災が起きてしまいます。

 

この火鉢が原因で火災が起きたのではないか、ともいわれています。

 

 

 

赤れんが庁舎 知られざる窓の秘密

 

みなさんもご存知のように、北海道の冬は寒いです。

 

地球温暖化が進んでいると叫ばれてはいますが、

それを疑ってしまうくらいの寒さです。

 

防寒のために、北海道の住宅の窓は2重になっているのが

普通なのですが、赤れんが庁舎(道庁)の場合は少し違います。

 

道庁は、一般住宅と同様に窓は2重になっていますが、

夏は一重窓、冬は二重窓になっているのです。

 

どうして松は一重窓なのか。それには、秘密があります。

 

内側の1枚分の両側に窓枠があり、その窓枠の中に折りたたんで

両側に収納できるようになっているのです。

 

今はガタガタになっていて上手く収納はできていません。

 

3枚折り(両側にあるので、全部で6枚折り)のガラス戸を

折りたたんだ状態で収納されている状態なので、

これを復元する予定のようですよ。

 

赤れんが庁舎は寒さをしっかりと考えた建物、というわけですね。

 

夏場に折りたたんで、それもカッコよく見えないように

収納する機能がある建物は、道庁以外にはないようです。

 

見た目も美しく、寒さも防ぐ

 

赤れんが庁舎がオープンした際には、

その点に注目してみるのもいいかもしれませんね。

 

 

屋根は石でできている⁉東京駅の復元にも使用された五月石

 

赤れんが庁舎で注目するポイントはいくつかありますが、

ここでは簡単に2つご紹介します。

 

まず1つ目は、火災で焼け残った正面玄関の3連アーチの中央階段です。

これは、創建時の姿が残っていて、とても綺麗です。

 

もう1つは、屋根に使用されている五月石です。

 

屋根には天然スレートが使われています。

 

すずりと同じ質感の五月石は薄くはがれる性質があり、

それを手でそいで屋根の材料として使っていました。

 

この五月石。

実は東京駅の屋根の復元にも使われているんです!

 

f:id:jyumeno:20200722160014j:plain

 

みなさんはご存知でしたか?

 

ただ、五月石はほとんど取れなくなっているので

半分以上はスペイン産のものが使われています。

 

もしかしたら、赤れんが庁舎の工事でも

スペイン産の五月石が使われているかもしれませんね。

 

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに…♪