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釧路湿原の自然再生 後押ししたのはあの出来事だった

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、釧路湿原の自然保護のために行われている

取り組みをご紹介します。

 

 

 

 

ラムサール条約とは?

 

ラムサール条約

みなさんも、1度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

ラムサール条約とはどんな条約か、みなさんは説明できますか?

 

 

ラムサール条約とは、簡単に言うと湿原を守るための国際条約です。

 

渡り鳥・水鳥が、世界各地から移動してきます。

その鳥たちは何ヶ月という長い期間を湿原で過ごすので、

その鳥たちのためにも、湿原は守らなければなりません

 

釧路湿原で暮らしてまた自分のところに戻る、という鳥は

世界中にたくさんいます。

 

湿原がなくなってしまうと、その渡り鳥がやってこられなくなります

 

それだけではありません。

 

渡り鳥は、簡単に目的地をころころ変えるわけにもいかないので

場合によっては絶滅してしまう、なんてこともあるのです。

 

鳥たちにとって、湿原はそれほど大事なものなのです。

 

湿原は、自分たちのところで守ればいいというわけではありません。

世界各地で鳥が行き来するところを協力して守っていく

 

湿原の周囲に住む人たちと関係が非常に深いのが、

ラムサール条約というわけです。

 

 

路頭に迷う鳥たち どう保護する

 

鳥たちにとって、国境は関係ありません。

 

渡り鳥たちが行く先々のことを考え、

国際的にいろいろやっていこうということになったのが

ラムサール条約です。

 

釧路湿原には、オジロワシオオワシなどの渡り鳥が北から飛んできます。

南からは、オオジシギというオーストラリアからの渡り鳥がやってきます。

 

このオオジシギですが…

オーストラリアの山火事で、生息地の半分が焼けてしまいました

 

その影響もあってか、結構な数のオオジシギが日本に来ています。

 

みなさん、このオオジシギが日本のどこを選んでいるかわかりますか?

 

 

正解は…

 

 

釧路湿原です!!

 

 

一方が焼けてしまえば、オオジシギは路頭に迷ってしまいます。

 

オーストラリアのニュースにも出ていたようですから、

甚大な被害であったことは、言うまでもありませんね。

 

 

その点では、鳥を通して湿原と湿原同士が連携を取らなければ

ならないということを改めて認識し、世界の人たちと

手を携えながら仕事ができるようにしなければなりませんね。

 

渡り鳥を介して、湿原は世界中つながっている、ということです。

 

オオジシギはオーストラリアの鳥で、くちばしが長い鳥で有名です。

川辺や水のあるところに下りて、水の中の小魚を食べたりします。

 

 

釧路からオーストラリアの東部までは114キロ

その長距離を、脇目もふらず渡ってくるそうです。

 

114キロノンストップで飛んだまま渡る鳥もいるというから、驚きです。

 

そういう鳥たちのことを考えると、なおさら

湿原を守らなくてはいけないな、と思いますよね。

 

 

人々が釧路湿原の素晴らしさに気付くまで

 

釧路湿原は、日本で最初に登録された湿地です。

そう、第1号なんです。

 

ここからは、釧路湿原の素晴らしさに気付くまでの

経緯について書いていきたいと思います。

 

 

日本で第1号の登録湿地となった、釧路湿原

 

しかし、釧路湿原という言葉自体を耳にするようになったのは、

まだまだ先のことだったんです。

 

それは一体どういうことだったのでしょうか。

 

 

湿原を知らない住民たち

 

実は、釧路湿原ラムサール条約に登録された1980年頃は

湿原のことを知っている人はあまりいませんでした

 

政府は国際条約に加盟し、専門家は湿原の大切さを訴え

湿原の保護活動に尽力していたものの…

 

湿原の周囲に住んでいる住民や一般の人は、

ラムサール条約のことはもちろん、

湿原を守ろうという意識が高くありませんでした

 

 

国際会議で注目された湿原

 

それでは、湿原はいつごろから広まって

湿原をもっと大切にしようという気運が高まってきたのか。

 

それは、1993年に開催された釧路国際会議がきっかけでした。

 

先述したように、1980年にラムサール条約釧路湿原が登録されます。

その7年後(1987年)には、国立公園に指定されます。

 

ただ、このときも湿原に対する人々の意識は低いままでした。

 

国立公園に指定されたとはいえ、

釧路湿原への意識は決して高くはなかったのが正直なところです。

 

 

しかし、その流れは一気に変わります

1993年に、釧路で国際会議を誘致したのです。

 

釧路にとって初めての国際会議でした。

 

当然、国際会議が行われたので

釧路には海外の人がたくさん押し寄せました

 

釧路湿原の周辺に住んでいる人はもちろんのこと、

一般の人もあまりの数の多さに驚いたといいます。

 

参加者は1,200人ほど。

海外の人は400人、各地のNGONPOの人は800人でした。

 

市民のうちの1万人にボランティアとして手伝ってもらったことも…

 

ボランティアの人たちは、手伝いをしていく中で

世界とつながっている」ということがわかったといいます。

 

ラムサール条約=湿原を守る会だということもわかり、

湿原を守るという意識が、このときから芽生えていきました。

 

徐々に湿原のことを考える人が増えるようになりました。

肌でその大切さを感じたことで、だんだんと意識も高まっていきました。

 

 

釧路ウエットランドセンターはなぜできた?

 

1993年に釧路で国際会議が開催。

 

その会議が終わった後に、

 

世界の人たちにせっかく釧路湿原の良いところを見てもらったのに、

これだけで終わってしまうのはもったいない」と思うようになったと

話すのは、釧路国際ウエットランドセンターの事務長。

 

1995年には、地域の釧路湿原を含めた道東の6市町村が

お金を出し合い組織をつくりました。

 

それが、釧路国際ウエットランドセンターです。

 

 

釧路湿原が世界に自慢できるものだ、と初めて

地元の人が肌で感じた釧路の国際会議。

 

釧路湿原をもっと知ってもらおう、ということで

釧路国際ウエットランドセンターができあがったのです。

 

湿原は、渡り鳥、水鳥の生息地でもあります。

また、湿原自体には植物もあるので、いろいろな効果があります。

 

特に、気候変動や地球温暖化のために果たしている役割は大きいのです。

 

いろいろな重要性を持っている湿地をもっともっと広めたい。

 

そんな思いから立ち上がった釧路国際ウエットランドセンター。

 

地域の人と協力して活動をしています。

 

 

釧路湿原の自然再生の試み

 

釧路湿原の自然保護を行っているのは、

市民、住民のボランティア活動だけではありません。

 

行政や専門家も集まって釧路湿原の自然再生を目的とした

協議会をつくり、いろいろなことを実験しながら

湿原をもとに戻す取り組みをしています。

 

もとに戻す取り組みとは、どういうことか。

 

それは、人の手が加えられたことによって自然が壊れてきているからです。

 

明治以降にいろんな部分で人間が関わったことで、

湿原自体が少し壊れてきているのです。

 

具体的には…

 

蛇行していた川を、1度直線にしたことがあります。

 

川が蛇行していると、氾濫してしまいます。

氾濫すると、大洪水が起こります。

 

直線にすることのメリットは2つ。

 

1つ目は、直線にすると洪水は起きないということ。

 

2つ目は、周りの人たち、特に酪農をしている人や

農家の人たちが水をとりやすくなる、ということ。

 

そういう目的があって、蛇行している川を直線にしたのです。

 

最近は、「それではいけない」ということで

もとに戻したことがありました。

 

湿原が変化しているところを、

人工的にやり直そうとしているのです。

 

今見ている湿原と1980年当時の湿原とでは、

この40~50年の間に変化しているということがわかってきました。

 

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少なくとも、1980年の頃の姿に戻したい

 

そんな思いから、再生事業を始めています。

 

 

釧路湿原を世界の湿原の手本に

 

釧路湿原をさらに知ってもらうために、

湿原を舞台とした研修が行われています。

 

その研修の中で、アフリカや中南米などの

発展途上国の人が来日し、湿原をいかに守っていくかを学んでいます。

 

なぜ、暑いところからわざわざ釧路にまで来るのか

 

その理由は、釧路湿原の取り組みが世界から評価されているからです。

 

釧路では、住民も含め官民一体となって湿原を守る活動を行っています

これは今に始まった話ではありません。

 

長い期間続けて行ってきたことが評価され、

発展途上国の人たちが「是非釧路に来てみたい」ということで

研修員の人たちはわざわざ、この釧路にまでやってくるんですね。

 

この人たちが国に帰ったとき、釧路湿原を守る姿を念頭に置いて

自分たちの国の湿原や自然を守る手本にしてもらっているのだそうです。

 

そういう意味では、いろんな国の人たちと

連携しているということになりますよね!

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

 

次回もお楽しみに…♪