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【ついに発売】音で旅する与那国島 與那覇有羽が歌う民謡がアルバムに!

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皆さん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、SUNDAY'S POSTから。

 

前々回は三味線の音の魅力についてお伝えしましたが、

今回は与那国島の民謡についてお届けします。

 

ゲストは、日本最西端の島「与那国」の民謡を

歌い継いでいる与那覇 有羽(よなは ゆう)さん。

 

民謡の魅力について、たっぷりとお話を伺います。

 

 

 

 

 

与那国島って、どんなところ?

 

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民謡の魅力について触れる前に…

 

まずは、与那国島がどんな島なのかについて書いていきたいと思います。

 

与那国島は、日本の1番西に位置していて、

東京からは約2000キロ離れています。

 

沖縄本島からは、約500キロ。

これは、与那国島沖縄本島からの距離になりますが…

 

この500キロという距離。

 

実は大阪から東京と同じくらいの距離なんです!

 

与那国島の周囲は、約28キロ。

3つの集落があり、現在は人口1700人が住んでいます

 

飛行機が飛んでいる石垣島からは127キロ、

台湾までは111キロ。

 

実は、与那国島石垣島よりも台湾の方が近いんです!

 

年間を通して暖かい亜熱帯気候で、独自の生態系が

育まれているため多様な生物が生息しています。

 

沖縄本島の文化の違いとして挙げられるのが、方言です。

よく似ている部分もありますが、方言には決定的な違いがあるのだとか。

 

歴史としては、琉球王朝になる前には

与那国島は独立した島だった、といわれています。

 

「日本の最西端にある島」としか知らなかった私も、

与那国島について少しはわかった気がします…!

 

それに、石垣島よりも台湾の方が近いなんて驚きですよね。

 

 

与那国島の方言 母音は3つしかない?

 

今回はそんな与那国島の魅力を、ゲストの方に伺っていきます。

 

冒頭でもお伝えしましたが…

 

ゲストは、与那国島の音楽と伝承文化を日本全国に

伝える活動を行うアーティスト、與那覇 有羽さんです!

 

ここで、與那覇さんのプロフィールを簡単にご紹介します。

 

那覇さんは、1986年に沖縄県与那国島で生まれました。

 

幼い頃から与那国島の音楽に触れて育ち、高校進学のために

移り住んだ那覇ではさらに多くの民謡と出会い、琉球古典音楽を学びます。

 

2011年に与那国島に戻ってからは島の内外でライブを行うなど、

島の音楽と伝承文化を発信しています。

 

高校進学のために那覇へ移り住んだものの、

島に帰りたいという気持ちを強く持っていたと話す、與那覇さん。

 

いつ帰るかは決めていなかったそうですが、

 

島に帰ってからしか歌えない歌がある

 

と感じ、2011年に与那国島に戻ってきたのです。

 

 

独特な方言と3母音の法則

 

先程、「方言が違う」と述べましたが

具体的にはどのように違うのでしょうか。

 

まず、沖縄県で使われている言語を琉球語といいますが

地域によって差があるため琉球諸語と呼ばれることもあります。

 

その琉球諸語の中で共通しているのが、「3母音の法則」です。

 

この法則を、簡単にご説明します。

 

まず…私たちが使っている日本語の母音は、

 

「あ い う え お」  の5つですよね。

 

一方で、与那国島で使われる母音は

 

「あ い う い う」  の3つなんです。

 

 

「あ い う え お」ではなく、

 

「あ い う い う」になるんです。

 

 

このことからも、言葉が特殊だということはわかると思います。

 

 

方言についてもっと知りたい方は、コチラを参考にしてみてください!↓

 

【参考】沖縄方言発音の法則!これであなたも聞き取れる?ひーじゃー通信 | ひーじゃー通信

 

与那国島の人口

 

 

方言にも特色がある与那国島

 

現在、与那国島にはどのくらいの人が住んでいると思いますか?

 

 

正解は…

 

 

1700人    です!!

 

1700人というと、もう顔見知りですね…

 

 

「悪いことをしたらすぐバレる」というほど、

その情報はインターネットよりも早く伝わるのだとか。

 

 

与那国民謡の特徴

 

与那国島に伝わる与那国民謡には、どんな特徴があるのでしょうか。

それは、島に伝わる方言・言葉で歌っているということです。

 

与那国民謡は与那国の言葉で歌っている、というのが大きな特徴。

これは、琉球民謡や宮古民謡にもいえることです。

 

音階は似たり寄ったりしていますが、

言葉が違うので伝わり方も変わってきます

 

言葉が違うだけで歌にも違いが顕著に現れる、というわけなんです。

 

 

与那国島の言葉が消滅危機に!?その理由とは

 

代々伝わる民謡にも使われている、与那国島の言葉。

実は、ユネスコで消滅の危機にある言語に認定されているんです。

 

それは、なぜなのか。

 

大きな原因は、方言を使う人が少なくなっていることです。

 

というのも…

 

与那国島の言葉を使って生活している人は、

人口1700人のうち、ごく一部だからです。

 

与那国島に住んでいる全員が、与那国島の言葉を

使っているというわけではないんです。

 

高齢の方が与那国の言葉を使っている一方、

若い世代、特に子供はその言語を使えなくなってきています

 

「使わなくなっている」のではなく、

「使えなくなっている」というのが現状なのです。

 

最近は、そのことに危機感を感じて

 

与那国島の言葉を大事に語り継いでいかなければ

 

と再びその価値が見直され、

教育にも取り入れられているのだそうです。

 

 

 好きこそものの上手なれ

 

ここからは、與那覇さんが歌で文化を残したいと思った

きっかけや歌い手になろうと思ったきっかけについて、

書いていこうと思います。

 

那覇さんが歌い手になろうと思った理由は、

とにかく歌が好きだったから

 

どちらかというと音楽は苦手だったそうですが、

民謡や島の歌が好きだから歌い手になったのだそう。

 

「好きこそ物の上手なれ」というのは、

このことを言うのかもしれませんね。

 

 

リリースされたアルバム 与那国島の音の魅力とは

 

9月23日に與那覇さんのアルバム、

「風の吹く島~どぅなん、与那国のうた」がリリースされました。

 

その中に、「ばがふみ」という曲があります。

「ばがふみ」というのは、若い船という意味。

 

この曲はもともと進水式の歌でした。

若い船というのは、新しく出来た船のことを指します。

 

つまり、船を褒めることで

 

島で使われている船に安全が到来し福をもたらす

 

ということなんです。

 

「どぅなん」ってどういう意味?

 

那覇さんのアルバムのタイトル、

「風の吹く島~どぅなん、与那国のうた」。

 

タイトルにもある「どぅなん」とは、

どういう意味なのでしょうか?

 

「どぅなん」というのは、「与那国」のことをいいます。

 

沖縄県の人は「ゆなぐに」と呼ぶそうですが、

与那国島の人は「どぅなん」と言うのだとか。

 

与那国島の風景 豊かな自然がもたらす心の豊かさ

 

海があって、日が暮れていく。

だんだんと茜色に染まっていく空。

 

少しでいいので、みなさんも少し想像してみてください。

 

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空が茜色に染まると、とても綺麗で空はとても広い

それが、与那国島の風景です。

 

夜に広い空を彩る星は、息を呑むほどの美しさなのだとか。

 

星をよく見ている人が言うには、

 

あんまり輝きすぎて、星座がよくわからない」。

 

小さい星がたくさん見えるから

星座がよくわからなくなってくる、とのこと。

 

それほど満点の星が、与那国島の空には散りばめられているんですね。

 

 

 

生活に密着している与那国民謡

 

与那国民謡は、年中日常の暮らしに深く関係している歌です。

 

「どの歌が1番思い出に残っていますか」と

那覇さんはよく聞かれるそうですが、

どの歌にも思い出がたくさんつまっているといいます。

 

というのも…

 

今回、アルバムのCDに吹き込むために特別に覚えた曲は1曲だけ。

他の曲は生活に深く関わっているものばかりなので、

1番心に残っているものを選ぶことはできなかったからです。

 

祭りなどの行事に演じられる歌が多いのですが、

わらべうたのように歌うものもあります。

 

さらに…

 

人が亡くなったときにも与那国島の人は歌を歌います

 

見えなくなった相手に手紙を送るように

歌を歌いあげ、見送るのです。

 

民謡は家族みんなで

 

民謡を演奏する際には、奥さんや妹さんも参加されるそうです。

 

那覇さんの奥さんは沖縄県出身で、専門は琉球舞踊。

 

与那国島の歌には掛け合いがあるので、

お囃子を入れてくれるようになったといいます。

 

妹さんはというと、琴の伴奏です。

 

日常の歌である民謡に三線が加わることで、

民謡は芸能へと変化していきます。

 

それを人前で弾くようになったときに、

琴の伴奏をつけるようになっていったのです。

 

「家族で音楽ができる」ということは、それほど

生活の中に民謡というものが密着しているということになります。

 

那覇さんは

 

特別なことをやっているつもりはなかった

 

と言いますが、いろんな人に会うたび、

 

家族でやれていいね」との言葉をよくかけられるそうです。

 

そのとき初めて、家族で音楽をやれるということの

素晴らしさと有り難さを実感したのだとか。

 

 

葉っぱが傘に早変わり!?トトロ的生活スタイル

 

そんな與那覇さん、歌だけでなく民品もつくっています

「くば」という植物で傘をつくっているそうです。

 

この「くば」という植物は、日本語でいうと「びろう」。

本州にも生えている植物です。

 

「くば」は南の地域に多く生えていて、

その葉っぱはいろんなことに使うことができます

 

その葉っぱで與那覇さんは傘をつくっているのですが、

その傘というのは畑用の傘です。

 

それを被って、たくさんの方が農作業をされています。

 

帽子を被ると接着面が熱くなりますが、

傘であればそんな悩みもすぐに解消できます。

 

傘は広くつくられているので、通気性があり涼しいからです。

風が入ってきて涼しいのに、しっかりと陽は避けられる

 

まさに、一石二鳥ですね。

 

那覇さんがつくった傘は、

趣味でつくっているわけではありません。

 

仕事としてつくり、販売もしています

 

そういうものをつくりながら歌も歌い、三線も弾く…。

なかなかできることではありませんよね。

 

 

 

民謡は特別じゃない 語り継ぐ日常の暮らし

 

ここからは、與那覇さんがこれからどんな活動を

していくのかについて書いていきます。

 

歌を歌うこと自体は、特別な面があります。

 

しかし、それを特別とは思わずに日常の延長として民謡を語り継ぎたい。 

そして、与那国島の文化や歌を発信し続けたい

 

那覇さんは、そう話します。

 

歌がきっかけで、与那国島に興味を持って

たくさんの人が来てくれたら…こんな良いことはないですよね。

 

 

与那国島でしか聞けない音、「ナナチガニ」ってなに?

 

与那国島でしか聞けない音。それは、「ナナチガニ」です。

 

那覇さんのアルバムの曲の中にも

「ナナチガニ」というフレーズがあるのですが…

 

芸能を代表する音というと、三線や太鼓の音が真っ先に

思い浮かぶ方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、与那国島の場合は笛と太鼓の音なんです。

与那国島に住む人は、これらの音をよく聞いているといいます。

 

特に、笛と太鼓の音は祭りの際に重要なものとなります

 

三線の演奏がはじまる前に、この「ななちがに」という曲を

弾いて清めてから全てがはじまっていくんです。

 

一種の儀式のようなものかもしれません。

 

この笛と太鼓の音を聞くと、「与那国の音だ」と実感するといいます。

 

 

7つの鐘があるのが「ななちがに」だと思ってたけど、違うのか…

 

と思っていた、そこのあなた!

 

実はそれ、当たってます

 

この「ななちがに」には、鐘をたたくフレーズが7つあるんです!

 

本来は銅鑼(どら)や太鼓の音が入るところを、

アルバム制作にあたり山伏さんに直接お願いをして、

特別にそれらを凝縮して入れていただいたのだそうです。

 

 

歌は思いを届ける手紙

 

SUNDAY'S POSTのコンセプトでもある、手紙。

那覇さんが印象に残っている手紙があるといいます。

 

与那国島にいたときに影響を受けたおばあさんが、

那覇さんにはいたそうです。

 

学生のときに與那覇さんは一時島を離れたのですが、

あるとき、そのおばあさんの旦那さんが亡くなったと聞いて、

手紙を送ったのだそう。

 

その手紙の返事には、

「歌 ありがとう」と手書きで書かれていたといいます。

 

手書きで書かれていたその文字が

とても印象的だったと話す、與那覇さん。

 

たった一言だけでも、手書きだと心に響くものがありますよね。

 

歌は、手紙そのもの

 

今手紙を書くとしたら、誰に書きたいか。

那覇さんは、その質問にこう答えました。

 

このCDの手紙を書きたい」。

 

それはつまり、民謡を語り継いでいきたいということ。

 

歌自体が昔の人から自分へ届いた手紙で、

歌うということが、自分からまた次の人へ伝える手紙だと思う。

 

そう語る、與那覇さん。

 

昔の人たちがすごいのは、目に見えることや

実際に起こったことを手紙のようにして

歌を歌っていることだ、と與那覇さんはいいます。

 

昔の人は字が書けない。

 

だからこそ、自分の気持ちや思いを歌にのせていた

いうわけなんです。

 

たとえば…

 

与那国島にいる人が歌った歌には、こんなものがあります。

 

「この風が、そよそよ吹く風がもしあなたのところに

 吹いたなら、私があなたのことを思っていると思って聞いてくださいね」

 

 

とてもロマンチックですよね!

 

これを聞いて、学生時代学んだ古典の和歌のことを思い出しました。

 

字が伝わる以前から、手紙は出されている

その手段が、歌だったということなんですね。

 

自然は、心を届ける風物詩

 

この話を聞いた小山薫堂さんは、「おくりびと」という

脚本を書いたときのエピソードを話してくださいました。

 

字が生まれる以前に、思いを伝える手段として

いしぶみ」というものがあったそうです。

 

このいしぶみというのは、

 

心に似た石を探してそれを旅人に渡し、

相手のところに持って行ってもらう…というもの。

 

石だけでなく、風も思いを伝える風物詩だったんですね。

 

那覇さんは、風というのは沖縄の歌の中では

とても大事なフレーズだと言います。

 

やりきれない自分の思いを風の音に託して、思いを馳せる。

 

そんな話を聞いていると、私まで心地よい風を浴び

綺麗な与那国島の景色を堪能してみたくなりました。

 

みなさんも、自然の音に耳をすましてみてはいかがでしょう。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 

次回もお楽しみに…♪