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尾崎裕哉はなぜ父親と同じシンガーソングライターの道を選んだのか?尾崎裕哉が語る尾崎豊とは

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、ドリームハートから。

前回に引き続き、ゲストは尾崎裕哉さんです。

 

尾崎裕哉さんが語る、尾崎豊さんへの思いについて

たっぷりとお届けします。

 

 

 

尾崎豊世代と現在のアーティストは覚悟が違う?一体どこが違うのか

 

音楽の原体験は尾崎豊だと話す尾崎裕也さん。

尾崎豊さんのことをどのように思っているのでしょうか?

 

尾崎豊さんに限ったことではありませんが、当時のミュージシャンや

アーティストは早くからデビューして音楽業界で活躍しています。

 

もちろん、現在もラッパーにしてもアイドルにしても

10代から活動している人たちもいますよね。

 

ところが、現在と昔とでは感覚が違うんです。

 

それはなぜかというと、当時は音楽を仕事にすることに

かなりの覚悟が必要だったからなんです。

 

現在は技術の進歩もあり、便利な世の中になりました。

たいていのものは、コンビニやスーパーで簡単に手に入れられます。

 

インターネットが普及して、お店にないものでもネットショッピングで

簡単に購入でき手元に届くようにもなりましたよね。

 

知りたいことがあればインターネットで検索するだけで

たちまち疑問は解決する、そんな時代です。

 

ですが、当時はインターネットといった便利なものはありません

 

Youtubeニコニコ動画などのコンテンツで動画配信するなんて、

誰が想像したでしょうか。

 

当時は、LPが流行った時代。

 

自身の楽曲を1つの盤にして完成するまでの期待感というのは、

今では想像できないくらいすごいことだったんです。

 

「LPってなに?」と、疑問に思う方もいらっしゃると思います。

 

一言で言うと、CDで言うところの「アルバム」です。

 

いわゆるアナログレコードなので、それが完成したときの喜びは

現代よりもひとしおなのかもしれません。

 

LPについてもっと知りたい方は、こちらを参考にしてみてください。↓

 

keyafde.com

 

高校の卒業式にライブを決行!誰にも真似できない尾崎豊の行動力

 

 

そんな時代の中で、尾崎豊さんは5年の時を経て

ようやく1stアルバムを発売

 

しかし、このとき尾崎豊さんは普通の高校生だったんです。

 

「でも、これくらいだったら今もアイドルで

 そういう人っているんじゃないの?」

 

と思う方も少なからずいらっしゃると思います。

 

でも、尾崎豊さんがすごいのはそれだけではないからなんです

 

というのも…

 

尾崎豊さんは、青山学院高等部卒業直前に中退して

卒業式の日に新宿でライブをしていたんです!

 

みなさん、信じられますか?

 

卒業直前に中退したということも大変驚きなのですが、

卒業式にライブをしていたんですよ!

 

そのときには、「シェリー」「I LOVE YOU」「僕が僕であるために」など…

名曲の数々がほとんどが揃っていたそうです。

 

これらの名曲は、尾崎豊さん亡きあともたくさんのアーティストの方々が

カバーされていることは、みなさんもご存知ですよね。

 

それほど、多くの方に影響を与えているのが

尾崎豊さんの楽曲ということなんですね。

 

さて、尾崎裕哉さんも1stアルバムを発売するなど

ミュージシャンとして活躍中のわけですが…

 

高校の卒業式にライブをやっていた父親は、本当にすごいと

尾崎裕哉さんは話します。

 

確かに、高校を中退して卒業式にライブをするというのは

普通はできないことですし、かなりの勇気と覚悟が必要ですよね…。

 

その行動から見ても、尾崎豊さんは絶大な人気を誇っていて

自身の意見や思いをしっかり持って発信し続ける

「レジェンド」的存在として異彩を放っていたのでしょう。

 

尾崎裕哉さんは自身が高校生のとき録音していた音源を

聞いたときのことを挙げ、「めちゃくちゃ下手くそだった」と振り返ります。

 

言葉の拙さも残っていて、とてもじゃないけど

父親のレベルには到底届かない、とも。

 

やはり息子にとっても「レジェンド」的存在だったようです。

 

なぜ尾崎裕哉は父、尾崎豊と同じ歌手を目指したのか

 

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尾崎裕哉さんが物心ついたときには、

尾崎豊さんはいらっしゃらなかったわけですが…

 

音楽芸術という意味では、「尾崎豊」は音楽史にも残る偉大な歌手。

 

なぜ、父親と同じシンガーソングライターという道を選んだのか。

みなさん、気になりませんか?

 

その答えは、憧れにありました。

 

父親の背中を見て育ったということが、尾崎裕哉さんが

シンガーソングライターの道を志す大きなきっかけとなったんです。

 

ただ、尾崎裕哉さんと尾崎豊さんとは1つだけ違う点があります。

みなさん、それは何だと思いますか?

 

それは…

 

 

音楽が身近にあるということ。

 

「音楽を仕事にする」ことが、身近だったんです。

 

最初から音楽が身近だったことで、音楽で仕事をすることの

イメージやビジョンを描きやすいといったことも

シンガーソングライターの道を進もうと思った要因。

 

尾崎豊さんにとっては、デビューするまで10年かかったり

今回の1stアルバムを出すまでに5年かかるなど、

ここまでの道のりはとても長かったようです。

 

尾崎豊さんは、自身の思いのままに、その生き様を駆け抜けた。

 

18歳でデビューしてから26歳で亡くなるまで、約8年間。

その間に、たくさんの名曲を次々と生み出していきました。

 

尾崎裕哉さんがデビューしたのは、27歳。

尾崎豊さんが亡くなっていた年です。

 

18歳でデビューして、スター街道まっしぐらだった尾崎豊さん。

 

デビュー時は大人ではなかったわけですが、

いろんなことをつかんで吸収していくのが早かった

 

その点に関して、尾崎裕哉さんは「羨ましい」と口にします。

 

尾崎裕哉さんはあえて時間をかけて仕事に取り組んできたそうですが、

「もっと早くやっておけばよかったのかな?」と思うことも。

 

 

世間がザワついたあの動画がきっかけ 尾崎裕哉が脚光を浴びたワケ

 

尾崎裕哉さんのことを、テレビの音楽番組で歌っているところを見て

「初めて知った!」とか、「ファンになった!」という方も

多いのではないでしょうか?

 

最初にテレビに出たときは、「I LOVE YOU」を歌っていたのだとか。

 

当時は、尾崎豊の楽曲をカバーするということが

コンテンツになるということを知って驚いたそうです。

 

それほどたくさんの方に尾崎豊さんの楽曲は愛され、

求められているということを尾崎裕哉さんは実感します。

 

尾崎裕哉さんが世に出たきっかけ、みなさんはご存知ですか?

 

「テレビじゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

実は違うんです!

 

尾崎裕哉さんがとあるパーティーで歌っている映像を、Youtubeに。

 

すると、

 

尾崎豊に声がすごく似てる!」と、大反響。

 

世間がザワザワした出来事でした。

 

もちろん、声を似させていたわけではありません

その動画に反響があったのは尾崎裕哉さんが大学1年生のときのこと。

 

「こういう見方はどこかでされるかもしれないな」と

うすうすわかっていたことが、現実になったということなんです。

 

しかも、これがかなりの大反響で…

そこから、幸い音楽業界に触れるきっかけができ仕事もいただくように。

 

今回のアルバム「Golden Hour」を聞いていても、

 

尾崎豊さんの声だ!

 

 

と思ってしまうほど声が似ている、と茂木健一郎さんも驚くほど。

 

尾崎裕哉さんは、いろいろな人に「似てるね」と言われるそうで

そのこと自体がすごいな、と思ったといいます。

 

なぜそう思うのかというと…

 

声が変わったからなんです。

 

 

尾崎裕哉さん曰く、

 

「1番似ていた時期って、14、15歳なんですよ」。

 

そこからライブを経たことで、最近は声が少し変わってきたそう。

 

 

歌手は「声が命」といわれるほど大切なものです。

尾崎裕哉さんの声は特に、天性のものがあるような気がします。

 

ある意味、声は授かりものですからね。

 

たとえ、そういうものがなかったとしても

音楽をやりたいと思っていたと思う、と尾崎豊さん。

 

私は今回、この番組をラジオで聞いて初めて

尾崎裕哉さんの声を拝聴したのですが、

 

最初にまず思ったのは

 

「もう、声が尾崎豊さんそのもの!

 

 

ということ。

 

本当に、よく似ていました。

 

 

そして、

 

 

さすが、親子。」

 

 

と、不思議に思うくらい腑に落ちました。

 

 

もしかして、「尾崎豊さんの声なんじゃないか」と時折錯覚することも。

それほど、似ています。

 

声は天性のもの」という言葉がぴったり当てはまるのは

尾崎裕哉さんのことを言うのではないかというくらい、似ています。

 

みなさんもぜひ、尾崎裕哉さんの素晴らしい声を聞いてみてください。

 

もう一度言います。

 

尾崎豊さんの声に、すごく、すごく似てます。

 

母親から伝え聞く尾崎豊の超意外なエピソード 

 

さて、ここからは尾崎豊さんのお母さんと、

尾崎豊さんの意外なエピソードについてです。

 

まず、尾崎豊さんのお母さん。

 

尾崎裕哉さんの音楽活動について、昔は口うるさく言われたことも

あったそうですが、最近はライブも「安心して観れる」と安心したご様子。

 

いろんな意味で成長した証ですね。

 

お母さんは、尾崎豊さんのことをよく知っているわけですが…

尾崎裕也さんと尾崎豊さんを比較するということはあるのでしょうか?

 

「1番僕を知っていて、1番比較しているのも母親かもしれない」。

 

これはよく感じることで、それが良い悪いというわけではなく

世間が見ている「尾崎豊」を理解しているからこそ、

 

「こういうことをした方が喜ぶよ」

 

という助言をもらうことも多くあるといいます。

 

 

お母さんから、父親がどういう人だったかを聞くことも。

 

尾崎豊さんが楽曲を制作していたところは見ていなかったようですが、

尾崎豊さんのパーソナルな部分はよく知っているのだとか。

 

尾崎豊さんが、実はおっちょこちょいだったって

みなさんご存知でしたか?

 

そのエピソードをよく聞くという、尾崎裕哉さん。

 

そのエピソードというのが、こちら。

 

尾崎裕哉さんが生まれて100日目のお祝いの日。

寿司の出前を玄関まで取りに行ったときのこと。

 

尾崎豊さんが受け取ったのですが、桶を貰って振り向いた瞬間に…

 

寿司が宙に舞いました

 

 

床に舞った寿司が、床に転がっています。

これをどうにか形にしようと、みんなで一生懸命拾う…というお話。

 

どうですか、みなさん。

あの、尾崎豊さんが床に転がった寿司を拾う姿、想像できますか?

 

意外ですよね。

 

 

もし尾崎豊が生きていたら…?

 

さて…話題は再び、尾崎豊さんに戻ります。

 

尾崎豊さんがもう少し生きていたら、ということは

意外にもあまり考えたことがない、と尾崎裕哉さん。

 

でも、生きていたら面白いのではないかと話します。

 

「父親が尾崎豊というのが成立するのか」ということに対して、

イメージが湧かないのだそう。

 

「音楽をやっている尾崎豊しか知らない」尾崎裕哉さんは、

どんな父親だったのかと不思議に思っているようです。

 

あまりにも完璧な楽曲を、あの若さでたくさん書いた

偉大すぎる尾崎豊さん。

 

長生きしていたら、変わらずにロックをやっていたし

今の時代に言いたいことを言っていたかもしれませんね。

 

尾崎裕哉がミュージシャンになることを決めた最大の理由

 

尾崎裕哉さんが音楽をはじめるきっかけでもある1つのテーマがあります。

それは…

 

父親、尾崎豊が見れなかった景色を見ること。

 

父親の楽曲を継承することも含めて親孝行なのだ、とも。

 

そして、1番大きかったのは尾崎豊さんが尾崎裕哉さんを

「ミュージシャンにしたい」と言っていたことをお母さんから聞いたことでした。

 

もしかしたら、天国で尾崎豊さんが尾崎裕哉さんの曲を

カバーしているかもしれませんね。

 

音楽で世界を変える 尾崎裕哉が考えるアーティストとしての使命

 

尾崎裕哉さんは、父親ができなかったことを

音楽を通して行うことに重きを置いています。

 

それが、音楽で世界を変えるということ。

 

これは一体、どういうことなのでしょうか?

 

尾崎裕哉さんは、ジョン・ウッドを尊敬しています。

ジョン・ウッドは、NPO法人を立ち上げました。

 

その名も、「ルーム・トゥ・リード」。

途上国の図書館に本を寄付する活動を行っています。

 

もともとはマイクロソフト社にいたジョン・ウッドですが、

マイクロソフト社を辞めてからはNPOを立ち上げ

世界的チャリティーをつくるなど、社会貢献活動を行ってきました。

 

尾崎裕哉さんがジョン・ウッドと出会ったのは、高校生のとき。

尾崎裕哉さんの高校に、講演にきたといいます。

 

それがきっかけで、尾崎裕哉さんは社会貢献に興味を持つように

 

これはジョン・ウッドに限った話ではありません。

 

今世界を変えようとしている人全般が尊敬の対象になっている、と

尾崎裕哉さんはいいます。

 

それぐらいのビジョンを持って物事に取り組まないといけない

 

これは、アーテイストにとってはとても大切なこと。

ファンを喜ばせるということは大前提にあります。

 

アーテイストとして音楽を仕事にしていくということは、

ファンと1つの世界を一緒につくっていくということになるわけです。

 

これはなんとなく、わかりますよね。

 

ファンと一緒にどんな世の中を、世界を創造していくか

それを忘れてはいけない、と尾崎裕哉さんは話します。

 

社会貢献に関して言うと…

 

「単純にビジネスの成功という尺度だけでは人生がつまらない

 

と、尾崎裕哉さんはいいます。

 

 

その成功の先にある、自分がつくりだす「世界」というものを

つくっていきたいというんです。

 

それはNPO的な福祉であるとか、

誰もが笑顔になれるようなことでもいいんです。

 

尾崎裕哉さんのいう、最高の先にある自分が創造する「世界」。

それは、こういう世界です。

 

自身の楽曲を通して気持ちを明るくすることはもちろん、

音楽を通じて売り上げた収益を社会にどう還元していくかにチャレンジ

していく。

 

音楽がビジネスとして成立することで、実は社会を回すきっかけになる。

それは果たして、可能なのか。

 

ということを、尾崎裕哉さん自身は挑戦してみたいのだそう。

 

簡単なところでいうと、ゴミ拾いに行ったり

コミュニティーをつくったりするようなことをしていきたいそう。

 

最近は尾崎裕哉さんのファンクラブをつくったので、

そういう活動もしていけたら、と意気込んでいます。

 

音楽の力には、目を見張るものがありますよね。

動員力がありますし、日常から非日常まで全てを網羅しています。

 

それが、音楽というものです。

 

日常的な支えという意味でも、音楽は非常に大きな役割を果たしています。

 

ライブに行けば、非日常的な体験ができますよね。

嫌なことも忘れされてくれる。

 

そんな大きな力が、音楽にはあります。

 

そして、誰にも当てはまるエンタメが音楽そのものなのです。

 

だからこそ音楽を盛り上げて行けるようなアーティストになりたい、と

尾崎裕哉さんは話します。

 

 

尾崎豊ファンは必見!「Golden Hour」に親子の貴重な秘蔵写真

 

最後に、尾崎裕哉さんの1stアルバム「Golden Hour」のお知らせです!

 

茂木健一郎さんも大絶賛するほど、素晴らしいアルバムが現在発売中です!

 

この「Golden Hour」、尾崎裕哉さんが自身で撮影した写真が

表紙になっているのですが、それに加えて、なんと…!

 

アルバムを開くと尾崎豊さんと尾崎裕哉さんの

親子秘蔵写真が入っているという、尾崎豊ファンにとっても嬉しい

かつ、貴重なアルバムとなっています!!

 

尾崎豊さんが生きていたら、とても喜んだでしょうね…。

 

アーティストとして独り立ちして自分の音楽をつくりはじめている

尾崎裕哉さんの素晴らしい音楽的成長を味わいましょう!

 

そして、尾崎豊、尾崎裕哉親子秘蔵写真はアルバムを購入すると

見ることができます。

 

ぜひぜひ、この機会に尾崎豊さんのDNAを引き継いだ

尾崎裕哉さんの音楽の世界に、浸ってみませんか?

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに…♪