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【未来に残したい日本の音】日本人の心に響く三味線の魅力とは

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、SUNDAY'S POSTから。

ゲストは、三味線奏者の小山豊(おやま ゆたか)さんです。

 

小山流の3代目として幼少期から三味線に励み、

日本に伝わる民謡に限らずロックやジャズなどジャンルを越えて活躍

 

その活動は日本国内にとどまらず、

カーネーギーホールなどで演奏するなど、

海外でも高い評価を得ています。

 

伝統を革新に変えて世界に発信している小山豊さんとともに

三味線の歴史やその魅力についてお伝えしていきます。

 

 

 

 

 

三味線のルーツ

 

日本を代表する楽器の1つ、三味線。

 

三味線のルーツはペルシャともチベットともいわれていますが、

はっきりとしたことはわかっていません。

 

もともとは、中国の元の時代に生まれた楽器、

三弦が琉球に伝わって三線になったといわれています。

 

16世紀中頃には、その三線が日本本土に渡り

今の三味線へと変化していったそうです。

 

現在のような三味線の形に落ち着いたのは、

江戸時代になってからのこと。

 

当時の人々にとっての楽しみは、歌舞伎や文楽

人形浄瑠璃といった芝居でした。

 

芝居の音楽に使われるようになった三味線は、

庶民の間でも人気を高めていきます。

 

その後は様々なジャンルで使われるようになり、

現在に至ります。

 

三味線には3つのタイプがある

 

ところで…

 

三味線には3つの種類があるということを

みなさんはご存知ですか?

 

三味線には大きくわけると3つのタイプがあり、

使う役割もそれぞれ異なってきます。

 

まず、太棹(ふとざお)。

 

ひと竿は、津軽民謡などに用いられます。

高みがあり大きな音が出るため、野外でも迫力のある演奏ができます。

 

次に、中棹。

 

中棹は、小唄や民謡などに用いられます。

 

そして最後は、細棹。

学校教材や初心者の入門用に多く用いられます。

 

棹の太さが変わることにより、合わせて胴も大きくなります。

 

胴が大きくなると、音も大きく音域も低くなるので

演奏方法も変わってきます

 

 

どうでしたか?

 

初めて知った!という方も多いのではないでしょうか。

 

三味線の中でも、津軽三味線をメインに活躍されている

小山流3代目の小山豊さんは、太棹の三味線を愛用しています。

 

三味線にもそれぞれのタイプがあるということは

おわかりいただけたと思いますが…

 

太棹を弾く人が中棹を弾く、ということはあるのでしょうか?

 

小山豊さんは、「基本的には全く別」といいます。

 

太棹を弾く人は太棹だけを弾くので、

太棹を弾く人が中棹を弾くことはまずないのだとか。

 

音階は一緒でも、ばちが違ったり楽器の長さや太さ、

音までもが違うので、違う種類の三味線を弾くことは

基本的にはない、ということなんですね。

 

小山流とは

 

さて、ここでみなさん!

 

冒頭で紹介したゲスト、小山豊さんのプロフィールを

1度思い出してみてください。

 

なにか、疑問に思ったことはありませんか?

 

 

そもそも、小山流ってなに?

 

 

という疑問が湧き上がってきませんか?

 

小山流という言葉を初めて聞いた方も、少なくないと思います。

私自身もそうでした。

 

ここからは「小山流」について少し詳しく

書いていきたいと思います。

 

小山流」の名前の由来は、地名にありました。

 

小山豊さんの祖父が青森の津軽地方にある

小山村の出身ということで、「小山流」という

名前がつけられたのです。

 

合奏と譜面 2つの新しい取り組み

 

小山流には、2つの特徴があります。

 

まず…小山豊さんの祖父は昭和33年に東京に出てくるのですが、

そのときにある新しい取り組みを始めます。

 

その「新しい取り組み」とは…

 

 

 

合奏です!!

 

 

基本的には津軽三味線は1人で弾く楽器なのですが、

 

合奏スタイルでやってみようか

 

ということで合奏を始めた流派なのです。

 

これが、小山流の1つ目の特徴です。

 

 

2つ目の特徴は、譜面をつくった流派であるということ。

 

基本的に譜面はないのですが、譜面をこしらえて

全国の人々や一般の方々にも広めようとしていたそうです。

 

譜面ができたのは、昭和33年以降。

その譜面は、いわゆる文化譜です。

 

ギターでいうタブ譜のように、ポジションが

記載されている譜面がつくられました。

 

三味線の道へ決心させたきっかけ

 

小山豊さんは、幼少期から三味線の音を聞いて育ちました。

 

父親も三味線奏者だったので、基本的には家の中で

ずっと民謡が鳴り響いているといった環境でした。

 

自分も大人になったら三味線をやっていくんだ」。

 

そういう思いはどこかしらにはあった、という小山豊さん。

 

6歳の6月6日からやると上手くなる」という

日本の風習に基づいて三味線を始めていたそう。

 

 

三味線から逃げていた学生時代

 

三味線を弾くということを、

幼いながらに強く意識してきた小山豊さん。

 

三味線を弾くことに関して抵抗はなかったのでしょうか?

 

抵抗というほどのことではありませんでしたが、

小学校のときは三味線のことを古くさい楽器としか

思っていなかったそうです。

 

中学生、高校生になると、小山豊さんはロックなどの洋楽に出会います。

 

バンドも組んでいたので、「三味線からは結構逃げていた」と

小山豊さんは当時を振り返ります。

 

そんな小山豊さんですが、三味線の世界に飛び込む決心をしました

小山豊さんが19歳のときのことです。

 

小山豊さんは津軽三味線のコンクールに初めて出る

ことになったのですが、そこである事実を知ることになります

 

 

それは…

 

 

小山豊さんと同世代の多くの若者が

三味線を演奏しているということ。

 

それが契機となり、小山豊さんは

三味線の世界へと入っていきました。

 

三味線とアーティストのコラボ

 

小山豊さんは、今までジャンルを越えて

いろいろなアーティストとコラボレーションしています。

 

1番最初にコラボレーションしたのは、一体誰だったのでしょうか?

 

楽器柄、演歌が多いそうですが…

 

最初にコラボレーションしたのが、

演歌歌手の城之内早苗さんでした。

 

城之内早苗さんにピックアップしてもらって、

ツアーを回ったのが小山豊さんが19歳のときのことでした。

 

ちなみに…城之内早苗さんは、

おニャン子クラブのメンバーだったそうですよ。

 

さて、それでは小山豊さんは今までどんな人と

コラボレーションしてきたのでしょうか?

 

北島三郎さんはもちろんのこと、藤あや子さんとも

長いお付き合いのようで、演歌ではいろいろな方と

コラボレーションしているのだとか。

 

ジャズや世界の民族楽器、フランスで行われるクラシックの祭典

「ラホル・ジュノレ」で7・8世紀の小楽器を演奏する楽団とも

コラボレーションしたりしています。

 

他にも…

 

お芝居や朗読劇、書道の柿沼康二さんやJ-popなど…

多岐にわたる活動を行っています。

 

 

三味線にも影を落とした コロナウイルス

 

そんな華やかに見える三味線業界にも、激震が走りました。

 

このコロナの中で三味線最大手のメーカーが

廃業寸前にまで売上が落ち込んでしまったのです。

 

どうして、三味線最大手のメーカーが

廃業寸前にまで陥ってしまったのか。

 

その理由は、3つあります。

 

1つ目は、コロナ以前に三味線の生産量が

かなり減っていたということです。

 

2つ目は、楽器が丈夫でなかなか壊れないということです。

なぜかというと、職人の技があまりにも良すぎるから。

 

頑丈でなかなか壊れないので、

修理するということも多くはないようです。

 

もちろん、壊れないに越したことはないのですが

修理がなさすぎるのも、経営的には少なからず影響しているようです。

 

3つ目は、楽器を購入する若者が少ないこと。

 

楽器は、気軽に買えるほど安いものではありません。

そのため、若い世代が楽器を手に取らなくなってきています

 

これらが拍車をかけ廃業寸前にまで陥ってしまった、というわけです。

 

しかし!

 

まだ廃業と決まったわけではありません

 

募金をしたり、修理の受注も増えてきているので

まだ未確定ではありますが

 

みんなで守れば廃業は回避できると思う」

 

と、小山豊さん。

 

三味線の音をいつまでも引き継ぐためには、

奏者だけでなく、つくる人たちがいないと成り立たない

ということも、忘れてはいけません。

 

三味線専門店、三味線かとうの店主が思う三味線の良さとは

 

そんな三味線をつくっている東京都荒川区町屋にある

三味線かとうの店主に、三味線の魅力を伺いました。

 

ここからは、三味線の魅力について掘り下げていきたいと思います。

 

 

東京都荒川区、町屋。

この町に31年続く三味線の専門店、三味線かとうがあります。

 

お店に入ると、数種類の三味線に囲まれて

ご主人の加藤金治さんが、三味線に皮を貼っていました。

 

棹と胴の部分がある三味線。

 

店主の加藤さんの仕事は、できた胴に皮を張ること。

糊で、胴に皮を張り付ける作業です。

 

もち米を粉にしたものを水で解いて練り、

粘りを出して糊にします

 

皮と木は自然です。それを三味線の胴とくっつけます。

 

 

もしも川が破けたら

 

仮に皮が破けた場合はどうするのでしょうか?

 

皮が破けたときは、まずその皮を剥がします。

剥がした後には当然、糊が残ります。

 

先述したように、糊は水で解いて練り粘り気を出したものです。

つまり、糊が水で溶けるので木にも負担がかかりません

 

 

原材料の不足と複雑な事情 それでも絶やしたくない文化がある

 

中学を卒業とともに三味線職人になった

父親の影響でその世界に入った、かとうさん。

 

すでに60年近く、三味線に皮を貼り続けています

 

「こういうもので、こういうものをつくってみたい」という

夢がかつてはあった、と語る加藤さん。

 

昔は原材料も豊富だったといいます。

 

しかし、それがだんだん先細っているのが現状です。

そのため、なかなか良いものがつくれず値段も高くなってきています

 

なかなか難しい事情もありますが、400年続いてきた

三味線をそう簡単に絶やしたくはないと話す、加藤さん。

 

 

三味線に皮を貼っていく作業の工程について、

再び語ってくれました。

 

糊をつけるときは、まず皮の余計な脂分をとっていきます

 

そうして、先程述べたもち米でできた糊で三味線の胴体に

皮をくっつけ、きせんと呼ばれる木でできた

大きな洗濯バサミのようなもので四隅を挟みます

 

完全に乾いたらきれいにして、ばち皮(ばちがあたるところ)を

保護するものを貼り、棹とくっつけたらできあがりです。

 

三味線をつくる工程において、

皮を貼る作業は1番最後の工程となります。

 

 

この皮貼りの作業、1日にどれくらいできると思いますか?

 

 

正解は…

 

 

1日5枚くらい。

 

 

少なくない?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、

実は「5枚くらい貼っていれば、そうとう張っている」んです!

 

「1日5枚張ったら、死にますね」

 

という加藤さんの言葉からも、その仕事が

かなりの体力仕事であることがわかります。

 

特に太棹は字のごとく棹が太いので、

その分かなりの腕力を必要とするのです。

 

最後に、加藤さんは三味線の音の魅力について語ってくれました。

 

世界には三味線の音を聞いたことのない人が

圧倒的に多い、と加藤さんはいいます。

 

いわゆる「希少価値」と呼ばれるものですが、

そんな素晴らしい価値を持つ三味線の音は

とても魅力的だと語る、加藤さん。

 

三味線は、「さわり」という余韻が

とても柔らかく響いて心に残っていく音がします。

 

他の世界の楽器にはない音を奏でることができるのが、

三味線なのです。

 

 

三味線について気になった方は、

こちらも是非、参考にしてみてください!↓

 

【参考】三味線専門店 三味線かとう

 

 

三味線奏者、小山流三代目の小山豊さんが伝えたい三味線の魅力

 

 

三味線奏者、小山豊さんのアルバムが発売されます。

 

ここからは、そんなアルバム制作秘話や

三味線への思いについて迫っていこうと思います。

 

小山豊さんがアルバムをつくられたのは、

一体何がきっかけだったのでしょうか?

 

もともと、長年溜め込んでいた思いがあったという小山豊さん。

 

原点回帰しなければ」という思いは、強く残っていたようです。

 

小山豊さんにとっての原点は、民謡。

 

その民謡をどうしたらたくさんの人に

聞いてもらえるものにできるのか

民謡をワールドミュージックとして昇華することができるのか

 

そんなことを考えながらアレンジを加えたのが、

今回のアルバムということになります。

 

これまでよくあった、洋楽のフォーマットに

和楽器としてアレンジを入れるのではなく、

和楽器自体が持っているものに洋楽を

逆に加えていくという真逆のアプローチを行ったのだそう。

 

まさに、発想の転換ですよね。

 

 

気になった方は是非、こちらを見てみてください!↓

 

【参考】津軽三味線小山流三代目 小山豊

 

三味線は、すでに「世界の音楽」になっている。

世界の人にも、もっと三味線の音を広げていきたいですよね。

 

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

次回もお楽しみに…♪