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【ついに発売】音で旅する与那国島 與那覇有羽が歌う民謡がアルバムに!

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皆さん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、SUNDAY'S POSTから。

 

前々回は三味線の音の魅力についてお伝えしましたが、

今回は与那国島の民謡についてお届けします。

 

ゲストは、日本最西端の島「与那国」の民謡を

歌い継いでいる与那覇 有羽(よなは ゆう)さん。

 

民謡の魅力について、たっぷりとお話を伺います。

 

 

 

 

 

与那国島って、どんなところ?

 

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民謡の魅力について触れる前に…

 

まずは、与那国島がどんな島なのかについて書いていきたいと思います。

 

与那国島は、日本の1番西に位置していて、

東京からは約2000キロ離れています。

 

沖縄本島からは、約500キロ。

これは、与那国島沖縄本島からの距離になりますが…

 

この500キロという距離。

 

実は大阪から東京と同じくらいの距離なんです!

 

与那国島の周囲は、約28キロ。

3つの集落があり、現在は人口1700人が住んでいます

 

飛行機が飛んでいる石垣島からは127キロ、

台湾までは111キロ。

 

実は、与那国島石垣島よりも台湾の方が近いんです!

 

年間を通して暖かい亜熱帯気候で、独自の生態系が

育まれているため多様な生物が生息しています。

 

沖縄本島の文化の違いとして挙げられるのが、方言です。

よく似ている部分もありますが、方言には決定的な違いがあるのだとか。

 

歴史としては、琉球王朝になる前には

与那国島は独立した島だった、といわれています。

 

「日本の最西端にある島」としか知らなかった私も、

与那国島について少しはわかった気がします…!

 

それに、石垣島よりも台湾の方が近いなんて驚きですよね。

 

 

与那国島の方言 母音は3つしかない?

 

今回はそんな与那国島の魅力を、ゲストの方に伺っていきます。

 

冒頭でもお伝えしましたが…

 

ゲストは、与那国島の音楽と伝承文化を日本全国に

伝える活動を行うアーティスト、與那覇 有羽さんです!

 

ここで、與那覇さんのプロフィールを簡単にご紹介します。

 

那覇さんは、1986年に沖縄県与那国島で生まれました。

 

幼い頃から与那国島の音楽に触れて育ち、高校進学のために

移り住んだ那覇ではさらに多くの民謡と出会い、琉球古典音楽を学びます。

 

2011年に与那国島に戻ってからは島の内外でライブを行うなど、

島の音楽と伝承文化を発信しています。

 

高校進学のために那覇へ移り住んだものの、

島に帰りたいという気持ちを強く持っていたと話す、與那覇さん。

 

いつ帰るかは決めていなかったそうですが、

 

島に帰ってからしか歌えない歌がある

 

と感じ、2011年に与那国島に戻ってきたのです。

 

 

独特な方言と3母音の法則

 

先程、「方言が違う」と述べましたが

具体的にはどのように違うのでしょうか。

 

まず、沖縄県で使われている言語を琉球語といいますが

地域によって差があるため琉球諸語と呼ばれることもあります。

 

その琉球諸語の中で共通しているのが、「3母音の法則」です。

 

この法則を、簡単にご説明します。

 

まず…私たちが使っている日本語の母音は、

 

「あ い う え お」  の5つですよね。

 

一方で、与那国島で使われる母音は

 

「あ い う い う」  の3つなんです。

 

 

「あ い う え お」ではなく、

 

「あ い う い う」になるんです。

 

 

このことからも、言葉が特殊だということはわかると思います。

 

 

方言についてもっと知りたい方は、コチラを参考にしてみてください!↓

 

【参考】沖縄方言発音の法則!これであなたも聞き取れる?ひーじゃー通信 | ひーじゃー通信

 

与那国島の人口

 

 

方言にも特色がある与那国島

 

現在、与那国島にはどのくらいの人が住んでいると思いますか?

 

 

正解は…

 

 

1700人    です!!

 

1700人というと、もう顔見知りですね…

 

 

「悪いことをしたらすぐバレる」というほど、

その情報はインターネットよりも早く伝わるのだとか。

 

 

与那国民謡の特徴

 

与那国島に伝わる与那国民謡には、どんな特徴があるのでしょうか。

それは、島に伝わる方言・言葉で歌っているということです。

 

与那国民謡は与那国の言葉で歌っている、というのが大きな特徴。

これは、琉球民謡や宮古民謡にもいえることです。

 

音階は似たり寄ったりしていますが、

言葉が違うので伝わり方も変わってきます

 

言葉が違うだけで歌にも違いが顕著に現れる、というわけなんです。

 

 

与那国島の言葉が消滅危機に!?その理由とは

 

代々伝わる民謡にも使われている、与那国島の言葉。

実は、ユネスコで消滅の危機にある言語に認定されているんです。

 

それは、なぜなのか。

 

大きな原因は、方言を使う人が少なくなっていることです。

 

というのも…

 

与那国島の言葉を使って生活している人は、

人口1700人のうち、ごく一部だからです。

 

与那国島に住んでいる全員が、与那国島の言葉を

使っているというわけではないんです。

 

高齢の方が与那国の言葉を使っている一方、

若い世代、特に子供はその言語を使えなくなってきています

 

「使わなくなっている」のではなく、

「使えなくなっている」というのが現状なのです。

 

最近は、そのことに危機感を感じて

 

与那国島の言葉を大事に語り継いでいかなければ

 

と再びその価値が見直され、

教育にも取り入れられているのだそうです。

 

 

 好きこそものの上手なれ

 

ここからは、與那覇さんが歌で文化を残したいと思った

きっかけや歌い手になろうと思ったきっかけについて、

書いていこうと思います。

 

那覇さんが歌い手になろうと思った理由は、

とにかく歌が好きだったから

 

どちらかというと音楽は苦手だったそうですが、

民謡や島の歌が好きだから歌い手になったのだそう。

 

「好きこそ物の上手なれ」というのは、

このことを言うのかもしれませんね。

 

 

リリースされたアルバム 与那国島の音の魅力とは

 

9月23日に與那覇さんのアルバム、

「風の吹く島~どぅなん、与那国のうた」がリリースされました。

 

その中に、「ばがふみ」という曲があります。

「ばがふみ」というのは、若い船という意味。

 

この曲はもともと進水式の歌でした。

若い船というのは、新しく出来た船のことを指します。

 

つまり、船を褒めることで

 

島で使われている船に安全が到来し福をもたらす

 

ということなんです。

 

「どぅなん」ってどういう意味?

 

那覇さんのアルバムのタイトル、

「風の吹く島~どぅなん、与那国のうた」。

 

タイトルにもある「どぅなん」とは、

どういう意味なのでしょうか?

 

「どぅなん」というのは、「与那国」のことをいいます。

 

沖縄県の人は「ゆなぐに」と呼ぶそうですが、

与那国島の人は「どぅなん」と言うのだとか。

 

与那国島の風景 豊かな自然がもたらす心の豊かさ

 

海があって、日が暮れていく。

だんだんと茜色に染まっていく空。

 

少しでいいので、みなさんも少し想像してみてください。

 

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空が茜色に染まると、とても綺麗で空はとても広い

それが、与那国島の風景です。

 

夜に広い空を彩る星は、息を呑むほどの美しさなのだとか。

 

星をよく見ている人が言うには、

 

あんまり輝きすぎて、星座がよくわからない」。

 

小さい星がたくさん見えるから

星座がよくわからなくなってくる、とのこと。

 

それほど満点の星が、与那国島の空には散りばめられているんですね。

 

 

 

生活に密着している与那国民謡

 

与那国民謡は、年中日常の暮らしに深く関係している歌です。

 

「どの歌が1番思い出に残っていますか」と

那覇さんはよく聞かれるそうですが、

どの歌にも思い出がたくさんつまっているといいます。

 

というのも…

 

今回、アルバムのCDに吹き込むために特別に覚えた曲は1曲だけ。

他の曲は生活に深く関わっているものばかりなので、

1番心に残っているものを選ぶことはできなかったからです。

 

祭りなどの行事に演じられる歌が多いのですが、

わらべうたのように歌うものもあります。

 

さらに…

 

人が亡くなったときにも与那国島の人は歌を歌います

 

見えなくなった相手に手紙を送るように

歌を歌いあげ、見送るのです。

 

民謡は家族みんなで

 

民謡を演奏する際には、奥さんや妹さんも参加されるそうです。

 

那覇さんの奥さんは沖縄県出身で、専門は琉球舞踊。

 

与那国島の歌には掛け合いがあるので、

お囃子を入れてくれるようになったといいます。

 

妹さんはというと、琴の伴奏です。

 

日常の歌である民謡に三線が加わることで、

民謡は芸能へと変化していきます。

 

それを人前で弾くようになったときに、

琴の伴奏をつけるようになっていったのです。

 

「家族で音楽ができる」ということは、それほど

生活の中に民謡というものが密着しているということになります。

 

那覇さんは

 

特別なことをやっているつもりはなかった

 

と言いますが、いろんな人に会うたび、

 

家族でやれていいね」との言葉をよくかけられるそうです。

 

そのとき初めて、家族で音楽をやれるということの

素晴らしさと有り難さを実感したのだとか。

 

 

葉っぱが傘に早変わり!?トトロ的生活スタイル

 

そんな與那覇さん、歌だけでなく民品もつくっています

「くば」という植物で傘をつくっているそうです。

 

この「くば」という植物は、日本語でいうと「びろう」。

本州にも生えている植物です。

 

「くば」は南の地域に多く生えていて、

その葉っぱはいろんなことに使うことができます

 

その葉っぱで與那覇さんは傘をつくっているのですが、

その傘というのは畑用の傘です。

 

それを被って、たくさんの方が農作業をされています。

 

帽子を被ると接着面が熱くなりますが、

傘であればそんな悩みもすぐに解消できます。

 

傘は広くつくられているので、通気性があり涼しいからです。

風が入ってきて涼しいのに、しっかりと陽は避けられる

 

まさに、一石二鳥ですね。

 

那覇さんがつくった傘は、

趣味でつくっているわけではありません。

 

仕事としてつくり、販売もしています

 

そういうものをつくりながら歌も歌い、三線も弾く…。

なかなかできることではありませんよね。

 

 

 

民謡は特別じゃない 語り継ぐ日常の暮らし

 

ここからは、與那覇さんがこれからどんな活動を

していくのかについて書いていきます。

 

歌を歌うこと自体は、特別な面があります。

 

しかし、それを特別とは思わずに日常の延長として民謡を語り継ぎたい。 

そして、与那国島の文化や歌を発信し続けたい

 

那覇さんは、そう話します。

 

歌がきっかけで、与那国島に興味を持って

たくさんの人が来てくれたら…こんな良いことはないですよね。

 

 

与那国島でしか聞けない音、「ナナチガニ」ってなに?

 

与那国島でしか聞けない音。それは、「ナナチガニ」です。

 

那覇さんのアルバムの曲の中にも

「ナナチガニ」というフレーズがあるのですが…

 

芸能を代表する音というと、三線や太鼓の音が真っ先に

思い浮かぶ方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、与那国島の場合は笛と太鼓の音なんです。

与那国島に住む人は、これらの音をよく聞いているといいます。

 

特に、笛と太鼓の音は祭りの際に重要なものとなります

 

三線の演奏がはじまる前に、この「ななちがに」という曲を

弾いて清めてから全てがはじまっていくんです。

 

一種の儀式のようなものかもしれません。

 

この笛と太鼓の音を聞くと、「与那国の音だ」と実感するといいます。

 

 

7つの鐘があるのが「ななちがに」だと思ってたけど、違うのか…

 

と思っていた、そこのあなた!

 

実はそれ、当たってます

 

この「ななちがに」には、鐘をたたくフレーズが7つあるんです!

 

本来は銅鑼(どら)や太鼓の音が入るところを、

アルバム制作にあたり山伏さんに直接お願いをして、

特別にそれらを凝縮して入れていただいたのだそうです。

 

 

歌は思いを届ける手紙

 

SUNDAY'S POSTのコンセプトでもある、手紙。

那覇さんが印象に残っている手紙があるといいます。

 

与那国島にいたときに影響を受けたおばあさんが、

那覇さんにはいたそうです。

 

学生のときに與那覇さんは一時島を離れたのですが、

あるとき、そのおばあさんの旦那さんが亡くなったと聞いて、

手紙を送ったのだそう。

 

その手紙の返事には、

「歌 ありがとう」と手書きで書かれていたといいます。

 

手書きで書かれていたその文字が

とても印象的だったと話す、與那覇さん。

 

たった一言だけでも、手書きだと心に響くものがありますよね。

 

歌は、手紙そのもの

 

今手紙を書くとしたら、誰に書きたいか。

那覇さんは、その質問にこう答えました。

 

このCDの手紙を書きたい」。

 

それはつまり、民謡を語り継いでいきたいということ。

 

歌自体が昔の人から自分へ届いた手紙で、

歌うということが、自分からまた次の人へ伝える手紙だと思う。

 

そう語る、與那覇さん。

 

昔の人たちがすごいのは、目に見えることや

実際に起こったことを手紙のようにして

歌を歌っていることだ、と與那覇さんはいいます。

 

昔の人は字が書けない。

 

だからこそ、自分の気持ちや思いを歌にのせていた

いうわけなんです。

 

たとえば…

 

与那国島にいる人が歌った歌には、こんなものがあります。

 

「この風が、そよそよ吹く風がもしあなたのところに

 吹いたなら、私があなたのことを思っていると思って聞いてくださいね」

 

 

とてもロマンチックですよね!

 

これを聞いて、学生時代学んだ古典の和歌のことを思い出しました。

 

字が伝わる以前から、手紙は出されている

その手段が、歌だったということなんですね。

 

自然は、心を届ける風物詩

 

この話を聞いた小山薫堂さんは、「おくりびと」という

脚本を書いたときのエピソードを話してくださいました。

 

字が生まれる以前に、思いを伝える手段として

いしぶみ」というものがあったそうです。

 

このいしぶみというのは、

 

心に似た石を探してそれを旅人に渡し、

相手のところに持って行ってもらう…というもの。

 

石だけでなく、風も思いを伝える風物詩だったんですね。

 

那覇さんは、風というのは沖縄の歌の中では

とても大事なフレーズだと言います。

 

やりきれない自分の思いを風の音に託して、思いを馳せる。

 

そんな話を聞いていると、私まで心地よい風を浴び

綺麗な与那国島の景色を堪能してみたくなりました。

 

みなさんも、自然の音に耳をすましてみてはいかがでしょう。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 

次回もお楽しみに…♪

 

 

 

 

女性に人気のプリーツスカート、リピートの秘密はここにあった!

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、西山美食話から。

引き続き秋の話題についてお届けします。

 

 

 

 

あっという間に秋が来る

 

9月も終わりが近づいてきました。

 

敬老の日秋分の日と連休だったという方は、

特にあっという間という気分で

今日を迎えているのではないでしょうか。

 

時間はあっという間に過ぎていき、

「夏の思い出をつくらなきゃ」と思っているうちに、

季節はすっかり秋。

 

自然は、そんな季節の移り変わりを

毎年ちゃんと私たちに教えてくれます。

 

木々が色づきはじめ、山の景色も少しずつ変化し、

風は少し冷たさを帯びて吹くようになると、

「今年も秋が来たな」と実感します。

 

どこかに出かけたくなる、なにかしたくなる

夏のアクティブな楽しさも名残惜しいですが、

秋の少し落ち着いた空気感もとても心地よく感じます。

 

ゆっくりとお気に入りの本を読んだり、

美術館やギャラリーでアートに触れてみる

 

ロングドライブで絶景を楽しむこともできますし、

暑さが和らいで過ごしやすくなった分、

思い切り体を動かしてみるのも良いですよね。

 

少し時間をかけて何かに熱中する、というのも

楽しいかもしれません。

 

そんな楽しみを、この秋いくつ実行できるでしょうか?

 

まだはじまったばかりの秋、

充実した時間を増やしていきましょう!

 

 

プリーツスカートは実は高貴な人しか着用できなかった!?

 

秋は洋服を選ぶのも楽しい季節。

 

プリーツやストール、軽めのアウターなど、

夏とは違ったアイテムを足してお洒落を楽しむのもいいですよね。

 

ロングスカートにブーツという組み合わせを

楽しめるのも、この時期からです。

 

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秋の洋服を見ていると、女性のスカートでは

プリーツスカートをよく見かける気がします。

 

プリーツスカートの歴史は古く、紀元前3000年頃の

古代エジプトで王様や王妃の衣服に用いられたそうです。

 

動きやすさに加えて装飾性も重視されました。

 

また、プリーツは雲間から見える太陽恒星に

似ていることから神の象徴であるとされ、

高貴な身分の者にのみ着用が許されていたのです。

 

たくさんの布を用いてつくられることからも、

プリーツは上流階級しか着ることができないデザインでした。

 

日本でもプリーツの機能は扇子や番傘(ばんがさ)に

用いられていますし、扇子のひだは、広げると

末広がりの形になることから、未来への希望の意味も込められ

縁起の良いものとして扱われてきました。

 

このプリーツデザインは民族衣装や学校の制服としても

よく使われているからか、どこかオフィシャルな雰囲気や

品があるアイテムでもありますよね。

 

そんなプリーツスカート。

 

今年は1つのスカートに色や素材の違う布をつなぎ合わせて

プリーツ加工を施した、よりデザイン性の高いスカートが多いようです。

 

歩くたびに広がる部分の色がより目立つように見えて、

1枚で見え方にも変化のある面白いデザイン。

 

プリーツスカートの進化版ともいうべきアイテムです。

 

そんなカラフルな布を使った、一見派手にも見えるスカートも

プリーツという等間隔のひだを施すことで上品に

まとまってしまうのは、やはりデザインのなせる技なんですね。

 

さあ、歩くたび綺麗に広がるプリーツスカートで、

あなたはこの秋、どこに出かけますか?

 

 

まだまだ続く食パン専門店ブーム

 

 

食パン専門店ブームはまだまだ続いているようで、

行列が絶えない店や北海道に新しくオープンした店など、

その数は増え続けています。

 

食パンという呼び方は日本の造語で、

 

「生地を発酵させて箱型の型に入れて焼きあげたパン」

 

と定義されています。

 

真四角の、いわゆる「角食」もあれば

上の部分が丸く膨らんだものもありますよね。

 

 

あなたは知っていますか?パン屋で見かける「パンドミ」

 

パン屋さんでそんな食パンを見ていると、「角食」と

書かれているものの他に、「パンドミ」と書かれたものもあります。

 

この、「パンドミ」。

一体どういう意味の言葉なのでしょうか?

 

「ミ」はフランス語で「中身」という意味。

 

耳の部分よりも中身がたくさん、中身がつまったパンということです。

 

つまり…

 

中身の部分がたくさんあれば、それは「パンドミ」と

名乗ることができるという、わりとアバウトなものです。

 

店によって見た目の違いがあるのは、こういうことだったんですね。

どれも、「パンドミ」というわけです。

 

 

パンドミについては、こちらを参考にしてみてください!↓

 

macaro-ni.jp

 

 

バケットとバタールの違いは?

 

さて、日本で言う「フランスパン」。

棒という意味のバケットという呼ばれ方をするのが、長い方です。

 

外側の香ばしさを味わうので、

中身は気泡が大きいものが多いとされています。

 

一方で、バケットよりも短く中身がつまっているものは、

バタールといいます。

 

同じように見えて、少し違う食感や香ばしさを楽しみたいですよね。

 

 

食パンは、どう食べたら1番おいしい?

 

みなさんは、パンをどのようにして食べますか?

 

いろいろな食べ方があると思いますが…

 

パンはやはり、焼きたてをまずはそのままで

食べるのが1番美味しい気がします。

 

食パンなら、焼きたてを手でちぎってガブリ!と

かぶりつくのもいいですが、なかなかそんな食べ方はできませんよね。

 

そんな食パンの保存方法、みなさんご存知ですか?

 

まず、好きな大きさにスライスします。

それから、カットした1枚1枚を密閉袋に入れて冷凍します。

 

そうすることで冷凍焼けを防ぐことができ、

美味しく食べられるそうです。

 

食べるときは、少し前に

冷凍庫から出して自然解凍しておきます。

 

あらかじめ温めておいたトースターで、

高めの温度で1分ほど加熱します。

 

高温で短時間焼く

 

そうすると、トーストした美味しさを味わうことができます。

 

バターやジャムを塗ったり、好きなものをのせて

オープンサンドにしたり…

 

簡単で見栄えもする1品ができるのも、パンの良いところ。

 

今度の週末は、気になるパン屋巡りなんていかがですか?

 

 

柿の種 偶然すぎる誕生秘話

 

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おつまみの定番、柿の種。発祥は、米どころの新潟県です。

 

新潟県長岡市にある「柿の種」を最初に開発したのが、浪花屋製菓

 

ここでは、もともとあられをつくっていたのですが、

あられに使う小判型の金型を創業者の奥さんが

誤って踏んでしまいました。

 

その金型を直すことができずに、

そのままの形であられをつくったところ、

「柿の種のようだ」と評判になり製品化されたそうです。

 

それにしても、すごい偶然ですよね…。

 

ピリ辛食感の秘密

 

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ここで、柿の種のつくりかたをご紹介します。

 

まず米を粉にして餅にし、形を整えます。

そして、それを切って乾燥させます。

 

焼き上げた後は、大きな釜で

唐辛子などの調味料で味付けを行います。

 

しっかりと乾燥させてから、パッケージをしていきます。

 

そうすることで、あのカリッとしたピリ辛の味と食感に仕上がるのです。

 

浪花屋製菓の創業者は、この「柿の種」の名前も

つくり方に対しても、特許を取りませんでした

 

そのため、ピーナッツと混ぜたいわゆる「柿ピー」など、

いろんな会社が独自の柿の種をつくることで、

「柿の種」は広まっていきました

 

柿ピー どの説がホント?

 

「柿ピー」のはじまりは、

 

  • たまたま混ぜて食べてみたら美味しかった
  • ホテルのバーで提供された
  • かさましのためだった          など…

 

諸説あるようですが、今やおつまみの定番として

ピーナッツ入りも広く愛されています

 

ピーナッツと柿の種の割合の好みはそれぞれあるようですが、

確かに、このピリッと辛みのあるあられと

香ばしいピーナッツの相性は抜群です。

 

柿の種とピーナッツバターの融合 その味は…?

 

今は、この2つを混ぜてパンに塗るという

瓶詰めタイプのものも登場しています。

 

ピーナッツバターの上にオイル漬けの柿の種という

2層になっていて、ふたを開けてザクザクと全体を混ぜてパンに塗る。

 

もはや、味がついていかないくらいの進化でしょうか。

 

ピーナッツバターの濃厚さと、ピリ辛ザクザク食感

甘辛くてクセになる味わい。

 

おいしい食パンの上にのせてトーストして食卓にのせたら、

今どきごはんの完成です。

 

みなさんも是非、試してみてくださいね。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに…♪

 

 

 

 

【未来に残したい日本の音】日本人の心に響く三味線の魅力とは

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、SUNDAY'S POSTから。

ゲストは、三味線奏者の小山豊(おやま ゆたか)さんです。

 

小山流の3代目として幼少期から三味線に励み、

日本に伝わる民謡に限らずロックやジャズなどジャンルを越えて活躍

 

その活動は日本国内にとどまらず、

カーネーギーホールなどで演奏するなど、

海外でも高い評価を得ています。

 

伝統を革新に変えて世界に発信している小山豊さんとともに

三味線の歴史やその魅力についてお伝えしていきます。

 

 

 

 

 

三味線のルーツ

 

日本を代表する楽器の1つ、三味線。

 

三味線のルーツはペルシャともチベットともいわれていますが、

はっきりとしたことはわかっていません。

 

もともとは、中国の元の時代に生まれた楽器、

三弦が琉球に伝わって三線になったといわれています。

 

16世紀中頃には、その三線が日本本土に渡り

今の三味線へと変化していったそうです。

 

現在のような三味線の形に落ち着いたのは、

江戸時代になってからのこと。

 

当時の人々にとっての楽しみは、歌舞伎や文楽

人形浄瑠璃といった芝居でした。

 

芝居の音楽に使われるようになった三味線は、

庶民の間でも人気を高めていきます。

 

その後は様々なジャンルで使われるようになり、

現在に至ります。

 

三味線には3つのタイプがある

 

ところで…

 

三味線には3つの種類があるということを

みなさんはご存知ですか?

 

三味線には大きくわけると3つのタイプがあり、

使う役割もそれぞれ異なってきます。

 

まず、太棹(ふとざお)。

 

ひと竿は、津軽民謡などに用いられます。

高みがあり大きな音が出るため、野外でも迫力のある演奏ができます。

 

次に、中棹。

 

中棹は、小唄や民謡などに用いられます。

 

そして最後は、細棹。

学校教材や初心者の入門用に多く用いられます。

 

棹の太さが変わることにより、合わせて胴も大きくなります。

 

胴が大きくなると、音も大きく音域も低くなるので

演奏方法も変わってきます

 

 

どうでしたか?

 

初めて知った!という方も多いのではないでしょうか。

 

三味線の中でも、津軽三味線をメインに活躍されている

小山流3代目の小山豊さんは、太棹の三味線を愛用しています。

 

三味線にもそれぞれのタイプがあるということは

おわかりいただけたと思いますが…

 

太棹を弾く人が中棹を弾く、ということはあるのでしょうか?

 

小山豊さんは、「基本的には全く別」といいます。

 

太棹を弾く人は太棹だけを弾くので、

太棹を弾く人が中棹を弾くことはまずないのだとか。

 

音階は一緒でも、ばちが違ったり楽器の長さや太さ、

音までもが違うので、違う種類の三味線を弾くことは

基本的にはない、ということなんですね。

 

小山流とは

 

さて、ここでみなさん!

 

冒頭で紹介したゲスト、小山豊さんのプロフィールを

1度思い出してみてください。

 

なにか、疑問に思ったことはありませんか?

 

 

そもそも、小山流ってなに?

 

 

という疑問が湧き上がってきませんか?

 

小山流という言葉を初めて聞いた方も、少なくないと思います。

私自身もそうでした。

 

ここからは「小山流」について少し詳しく

書いていきたいと思います。

 

小山流」の名前の由来は、地名にありました。

 

小山豊さんの祖父が青森の津軽地方にある

小山村の出身ということで、「小山流」という

名前がつけられたのです。

 

合奏と譜面 2つの新しい取り組み

 

小山流には、2つの特徴があります。

 

まず…小山豊さんの祖父は昭和33年に東京に出てくるのですが、

そのときにある新しい取り組みを始めます。

 

その「新しい取り組み」とは…

 

 

 

合奏です!!

 

 

基本的には津軽三味線は1人で弾く楽器なのですが、

 

合奏スタイルでやってみようか

 

ということで合奏を始めた流派なのです。

 

これが、小山流の1つ目の特徴です。

 

 

2つ目の特徴は、譜面をつくった流派であるということ。

 

基本的に譜面はないのですが、譜面をこしらえて

全国の人々や一般の方々にも広めようとしていたそうです。

 

譜面ができたのは、昭和33年以降。

その譜面は、いわゆる文化譜です。

 

ギターでいうタブ譜のように、ポジションが

記載されている譜面がつくられました。

 

三味線の道へ決心させたきっかけ

 

小山豊さんは、幼少期から三味線の音を聞いて育ちました。

 

父親も三味線奏者だったので、基本的には家の中で

ずっと民謡が鳴り響いているといった環境でした。

 

自分も大人になったら三味線をやっていくんだ」。

 

そういう思いはどこかしらにはあった、という小山豊さん。

 

6歳の6月6日からやると上手くなる」という

日本の風習に基づいて三味線を始めていたそう。

 

 

三味線から逃げていた学生時代

 

三味線を弾くということを、

幼いながらに強く意識してきた小山豊さん。

 

三味線を弾くことに関して抵抗はなかったのでしょうか?

 

抵抗というほどのことではありませんでしたが、

小学校のときは三味線のことを古くさい楽器としか

思っていなかったそうです。

 

中学生、高校生になると、小山豊さんはロックなどの洋楽に出会います。

 

バンドも組んでいたので、「三味線からは結構逃げていた」と

小山豊さんは当時を振り返ります。

 

そんな小山豊さんですが、三味線の世界に飛び込む決心をしました

小山豊さんが19歳のときのことです。

 

小山豊さんは津軽三味線のコンクールに初めて出る

ことになったのですが、そこである事実を知ることになります

 

 

それは…

 

 

小山豊さんと同世代の多くの若者が

三味線を演奏しているということ。

 

それが契機となり、小山豊さんは

三味線の世界へと入っていきました。

 

三味線とアーティストのコラボ

 

小山豊さんは、今までジャンルを越えて

いろいろなアーティストとコラボレーションしています。

 

1番最初にコラボレーションしたのは、一体誰だったのでしょうか?

 

楽器柄、演歌が多いそうですが…

 

最初にコラボレーションしたのが、

演歌歌手の城之内早苗さんでした。

 

城之内早苗さんにピックアップしてもらって、

ツアーを回ったのが小山豊さんが19歳のときのことでした。

 

ちなみに…城之内早苗さんは、

おニャン子クラブのメンバーだったそうですよ。

 

さて、それでは小山豊さんは今までどんな人と

コラボレーションしてきたのでしょうか?

 

北島三郎さんはもちろんのこと、藤あや子さんとも

長いお付き合いのようで、演歌ではいろいろな方と

コラボレーションしているのだとか。

 

ジャズや世界の民族楽器、フランスで行われるクラシックの祭典

「ラホル・ジュノレ」で7・8世紀の小楽器を演奏する楽団とも

コラボレーションしたりしています。

 

他にも…

 

お芝居や朗読劇、書道の柿沼康二さんやJ-popなど…

多岐にわたる活動を行っています。

 

 

三味線にも影を落とした コロナウイルス

 

そんな華やかに見える三味線業界にも、激震が走りました。

 

このコロナの中で三味線最大手のメーカーが

廃業寸前にまで売上が落ち込んでしまったのです。

 

どうして、三味線最大手のメーカーが

廃業寸前にまで陥ってしまったのか。

 

その理由は、3つあります。

 

1つ目は、コロナ以前に三味線の生産量が

かなり減っていたということです。

 

2つ目は、楽器が丈夫でなかなか壊れないということです。

なぜかというと、職人の技があまりにも良すぎるから。

 

頑丈でなかなか壊れないので、

修理するということも多くはないようです。

 

もちろん、壊れないに越したことはないのですが

修理がなさすぎるのも、経営的には少なからず影響しているようです。

 

3つ目は、楽器を購入する若者が少ないこと。

 

楽器は、気軽に買えるほど安いものではありません。

そのため、若い世代が楽器を手に取らなくなってきています

 

これらが拍車をかけ廃業寸前にまで陥ってしまった、というわけです。

 

しかし!

 

まだ廃業と決まったわけではありません

 

募金をしたり、修理の受注も増えてきているので

まだ未確定ではありますが

 

みんなで守れば廃業は回避できると思う」

 

と、小山豊さん。

 

三味線の音をいつまでも引き継ぐためには、

奏者だけでなく、つくる人たちがいないと成り立たない

ということも、忘れてはいけません。

 

三味線専門店、三味線かとうの店主が思う三味線の良さとは

 

そんな三味線をつくっている東京都荒川区町屋にある

三味線かとうの店主に、三味線の魅力を伺いました。

 

ここからは、三味線の魅力について掘り下げていきたいと思います。

 

 

東京都荒川区、町屋。

この町に31年続く三味線の専門店、三味線かとうがあります。

 

お店に入ると、数種類の三味線に囲まれて

ご主人の加藤金治さんが、三味線に皮を貼っていました。

 

棹と胴の部分がある三味線。

 

店主の加藤さんの仕事は、できた胴に皮を張ること。

糊で、胴に皮を張り付ける作業です。

 

もち米を粉にしたものを水で解いて練り、

粘りを出して糊にします

 

皮と木は自然です。それを三味線の胴とくっつけます。

 

 

もしも川が破けたら

 

仮に皮が破けた場合はどうするのでしょうか?

 

皮が破けたときは、まずその皮を剥がします。

剥がした後には当然、糊が残ります。

 

先述したように、糊は水で解いて練り粘り気を出したものです。

つまり、糊が水で溶けるので木にも負担がかかりません

 

 

原材料の不足と複雑な事情 それでも絶やしたくない文化がある

 

中学を卒業とともに三味線職人になった

父親の影響でその世界に入った、かとうさん。

 

すでに60年近く、三味線に皮を貼り続けています

 

「こういうもので、こういうものをつくってみたい」という

夢がかつてはあった、と語る加藤さん。

 

昔は原材料も豊富だったといいます。

 

しかし、それがだんだん先細っているのが現状です。

そのため、なかなか良いものがつくれず値段も高くなってきています

 

なかなか難しい事情もありますが、400年続いてきた

三味線をそう簡単に絶やしたくはないと話す、加藤さん。

 

 

三味線に皮を貼っていく作業の工程について、

再び語ってくれました。

 

糊をつけるときは、まず皮の余計な脂分をとっていきます

 

そうして、先程述べたもち米でできた糊で三味線の胴体に

皮をくっつけ、きせんと呼ばれる木でできた

大きな洗濯バサミのようなもので四隅を挟みます

 

完全に乾いたらきれいにして、ばち皮(ばちがあたるところ)を

保護するものを貼り、棹とくっつけたらできあがりです。

 

三味線をつくる工程において、

皮を貼る作業は1番最後の工程となります。

 

 

この皮貼りの作業、1日にどれくらいできると思いますか?

 

 

正解は…

 

 

1日5枚くらい。

 

 

少なくない?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、

実は「5枚くらい貼っていれば、そうとう張っている」んです!

 

「1日5枚張ったら、死にますね」

 

という加藤さんの言葉からも、その仕事が

かなりの体力仕事であることがわかります。

 

特に太棹は字のごとく棹が太いので、

その分かなりの腕力を必要とするのです。

 

最後に、加藤さんは三味線の音の魅力について語ってくれました。

 

世界には三味線の音を聞いたことのない人が

圧倒的に多い、と加藤さんはいいます。

 

いわゆる「希少価値」と呼ばれるものですが、

そんな素晴らしい価値を持つ三味線の音は

とても魅力的だと語る、加藤さん。

 

三味線は、「さわり」という余韻が

とても柔らかく響いて心に残っていく音がします。

 

他の世界の楽器にはない音を奏でることができるのが、

三味線なのです。

 

 

三味線について気になった方は、

こちらも是非、参考にしてみてください!↓

 

【参考】三味線専門店 三味線かとう

 

 

三味線奏者、小山流三代目の小山豊さんが伝えたい三味線の魅力

 

 

三味線奏者、小山豊さんのアルバムが発売されます。

 

ここからは、そんなアルバム制作秘話や

三味線への思いについて迫っていこうと思います。

 

小山豊さんがアルバムをつくられたのは、

一体何がきっかけだったのでしょうか?

 

もともと、長年溜め込んでいた思いがあったという小山豊さん。

 

原点回帰しなければ」という思いは、強く残っていたようです。

 

小山豊さんにとっての原点は、民謡。

 

その民謡をどうしたらたくさんの人に

聞いてもらえるものにできるのか

民謡をワールドミュージックとして昇華することができるのか

 

そんなことを考えながらアレンジを加えたのが、

今回のアルバムということになります。

 

これまでよくあった、洋楽のフォーマットに

和楽器としてアレンジを入れるのではなく、

和楽器自体が持っているものに洋楽を

逆に加えていくという真逆のアプローチを行ったのだそう。

 

まさに、発想の転換ですよね。

 

 

気になった方は是非、こちらを見てみてください!↓

 

【参考】津軽三味線小山流三代目 小山豊

 

三味線は、すでに「世界の音楽」になっている。

世界の人にも、もっと三味線の音を広げていきたいですよね。

 

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

次回もお楽しみに…♪

 

 

 

北海道スタイルが丸わかり!北海道博物館が掲げる5つのテーマ

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

前回に引き続き、世界のあこがれ〜北海道ブランド〜から、

北海道博物館の魅力に迫ります。

 

今回は、第2回目です!

 

北海道博物館が設定している5つのテーマと

展示内容について詳しくみていきます。

 

 

 

 

5つのテーマから見える北海道の歴史と文化

 

北海道博物館の総合展示室では、マンモス象と

ナウマン象の全身復元骨格が象徴展示されています。

 

ですが、これはプロローグにすぎません。

 

総合展示室は、大きくわけて5つのテーマに分かれています。

1階に2つのテーマ、2階に3つのテーマの展示を設けています。

 

まずは、1階の2つのテーマから見ていきましょう。

 

 

120万年を巡る旅

 

まず1階にある第1テーマは、

「北海道120万年物語」。

 

120万年前というと、当然人間は存在していません。

北海道が現在の北海道のような形をしている、とも限りません

 

当時は、大地や海で動物や植物などの

様々な生物が育っていたと推測できます。

 

そんな120万年前の時代から、

明治前期までの北海道の歴史を辿っていきます。

 

120万年間を辿るという、歴史色の強い展示となっています。

 

ところどころで、「北東アジアの中で北海道を見る」と

いう歴史の伝え方をしています。

 

ここで、コンセプトが登場してきましたね。

 

みなさん、覚えていますか?

 

1つ目のコンセプトは、

北東アジアの中の北海道」でしたよね。

 

このコンセプトに沿って展示がつくられています。

 

そのため、本州より南にある博物館ではなかなか感じられない

歴史のダイナミック感やロマンを感じ取れる展示となっています。

 

学ぶのは過去だけじゃない!アイヌ文化の「今」を考える

 

第2テーマは、「アイヌ文化の世界」。

 

みなさんもご存知の通り、北海道の先住民族アイヌ民族です。

 

多くの博物館で展示されているアイヌ民族

アイヌ文化についての展示というのは、

 

江戸時代に描かれた絵や、主に近代以降にコレクターが

収集した民具*1が多いです。

 

前回の記事の冒頭にも述べましたが、北海道博物館の

開設に伴い、同じく道立の施設だった

アイヌ民族文化研究センターと統合しました。

 

アイヌ民族文化研究センターでは、アイヌの人々の言葉

代々受け継がれてきた音楽、踊り、物語などの無形文化

(かたちにならないもの)をたくさん研究してきました。

 

このセンターと統合することにより、アイヌ文化を扱う

展示においてはあまり見られなかった要素がかなり詰まっています

 

たとえば…

 

  • アイヌの人々の伝統的な道具
  • アイヌの人々に伝わってきた物語をアニメに入れる
  • アイヌの人々の伝統的な音楽を聴く

 

ことなどを行っています。

 

また、実際に楽器を触って音を鳴らすコーナーや

さいころを4つ置いて、それを転がすとアイヌ語の文法や

単語がわかるというような魔法さいころといったものもあります。

 

この「アイヌ文化の世界」の展示で1番伝えたいこと。

それは、アイヌの人々の現在です。

 

アイヌの人々は、今どうしているのか」を

知ってもらうコーナーも設けています。

 

どうしてもアイヌ文化というと、過去のことばかりに

目が行きがちです。

 

しかし、「もの」だけではなく形がないものや

現在についても考えることがとても大切なんですね。

 

 

北海道スタイルの成り立ちについて考える

 

さて、次は2階のフロアに移ります!

 

2階には、3つのテーマがあります。

 

第3テーマは、「北海道らしさの秘密」。

 

エスカレーターを上がって1番最初に見えてくるのが、

北海道鳥瞰図です。

 

北海道鳥瞰図とは、絵の複写物。

鳥の目線から描いている、北海道の絵図のようなものです。

 

これには、今から80年前の北海道が描かれています

 

北海道の開拓の進展や、現在の北海道の状況につながる

地理的状況が非常によくわかる、象徴的な絵です。

 

自分のゆかりの場所を探すだけで数十分かかる人も、多いのだとか。

 

そして、この展示には「北海道スタイル」という

北海道ならではの暮らし方も紹介しています。

 

たとえば…

 

室内の暖かさや、ジンギスカンなどの羊を好んで食べること、

赤飯には甘納豆…など。

 

室内の暖かさに関しては冬の寒さを凌ぐために窓が

二重になっていたり、ロードヒーティングが敷かれていたり…。

 

挙げればキリがないですが、そのような暮らし方のことも

含めて、この展示ではみなさんに考えてもらいたいことがあるんです。

 

それは…

 

 

博物館として集めた「北海道らしいもの」を通して、

北海道スタイルの成り立ちをみんなで考えよう、ということ。

 

普段何気ない生活を送っている北海道スタイルですが、

その成り立ちを考えるということは、とても大切なことです。

 

先人の人々の様々な知恵や精神を積み重ねていった結果、

今の私たちがあるということは、忘れてはいけないことだと思います。

 

それは、アイヌ文化に限ったことではありません。

 

今の私たちがいるのは、先人たちのおかげ

 

そのことを感じられるコーナーが、「アイヌ文化の世界」なんですね。

 

 

足踏みミシンからわかる意外な歴史

 

第4テーマは、「私たちの時代へ」。

 

第1テーマでは、明治の開拓が始まるぐらいまでの歴史を扱っていました。

 

しかし、この第4テーマでは

ここ100年ぐらいの北海道の歴史を辿っていきます。

 

第4テーマでは、昔の足踏みミシンが展示されています。

 

この足踏みミシン、実はある景品として送られたものなんです。

それは何か、みなさんはわかりますか?

 

正解は…

 

 

 

お年玉付き年賀ハガキです!!

 

 

昭和30年のお年玉付き年賀ハガキの特等賞品が、

その足踏みミシンだったんです!

 

実はこの事実、あまり知られていません

 

この足踏みミシンは、当時上磯町で長らく使用されていました。

その発端は、先程も述べた「お年玉付き年賀ハガキ」です。

 

 

このお年玉付き年賀ハガキ、いつから始まったと思いますか?

 

 

お年玉付き年賀ハガキは、昭和25年が始まりと言われています。

 

展示されているミシンは、その5年後の特等商品のものと

いうことなので、かなり早い段階のものです。

 

 

自然を人との関わりから読み解く

 

そして、最後の第5テーマは「生き物たちの北海道」。

 

 

気温上昇や地球温暖化外来種の問題や自然破壊…など

解決すべき環境問題は山積しています。

 

特に外来種については、北海道にずっと住み着いている

北海道純粋のもの、つまり従来種ばかりがいるわけではありません

 

第5テーマでは、北海道の自然を人との関わりという

視点で考える展示を行っています。

 

子供たちにも分かりやすいような展示を組み立てています。

ちなみに、入口はクマの形をしています。

 

 

 

北海道幕別町で発掘されたナウマンゾウは、なぜ貴重なのか

 

北海道博物館の中で世界的に評価の高い史料や展示物は、

入口に展示してあるナウマン象です。

 

展示しているのは、全身の復元骨格となります。

 

そのナウマン象は、現在の幕別町で発掘されたものです。

 

ナウマン象自体は、日本各地で発掘されてきました。

しかし北海道で発掘されたナウマン象は、

それらとは明らかな違いがあったんです。

 

その違いとは、一体何だったのでしょうか?

 

 

それは…

 

 

幕別町で発掘されたナウマン象は、

ほぼ1体分の化石がまとまって出てきたこと。

 

これが、かなり珍しい。

 

他のところで発掘されたのは、

 

  • 牙だけ
  • 歯だけ  などの一部分。

 

つまり、ナウマンゾウの化石が一部分しか

発掘されなかったのです。

 

ナウマン象の化石が、ほぼ1体分まとまって発掘されたこと

非常に価値が高く、世界的にも評価の高い史料といえます。

 

 

発見って楽しい!探求心を育てる「はっけん ひろば」

 

北海道博物館のその他の見どころは、

はっけん ひろば です。 

 

ここでは、

 

  • いろいろな昔の道具を体験
  • いろんな動物の毛皮に触る
  • 巨大アンモナイトに触る   ことができます。

 

子供たちが自由に選んで体験できるので、

様々なことを発見することができる部屋になっています。

 

しかし、今はこの部屋はコロナの影響で封鎖しています。

 

土曜、日曜、祝日はイベントを開催しているのですが

今の社会情勢下では困難なため、現在はイベントを中止しています。

 

以前のようにとはいかないかもしれませんが、

また北海道博物館を訪れる人が増えますように…。

 

コロナの収束を、1日も早く。そう願わずにはいられません。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに…♪

 

 

*1:アイヌの人々が使用していた伝統的な道具

北海道博物館の愛称はなぜ「森のチャレンガ」なのか

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

  

世界のあこがれ~北海道ブランド~から

北海道博物館の魅力について2回にわたってお伝えします。

 

今回は、その第1回目!

 

北海道博物館の愛称や他の博物館の愛称の由来、

北海道博物館の特徴を中心にお伝えしていきます。

 

 

 

 

北海道博物館とは

 

まずは、北海道博物館について簡単にご紹介します。

 

北海道博物館は、北海道開拓記念館

アイヌ民族文化研究センターを統合して2015年に誕生しました。

 

野幌森林公園の中にあるレンガの建物で、

北海道の歴史・文化・自然を学ぶことができます。

 

北海道博物館学芸主幹の池田貴夫さんをゲストに、

北海道博物館の魅力について迫っていきます。

 

 

なぜ愛称が「森のチャレンガ」なのか

 

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北海道博物館の愛称は、「森のチャレンガ」。

この愛称には、どんな意味や思いが込められているのでしょうか。

 

みなさんもご存知の通り、道庁の赤れんがは

札幌市の観光名所として有名です。

 

しかしながら、北海道博物館があるのは野幌の森

残念ながら、赤レンガ庁舎よりは知名度は低いです。

 

北海道博物館は、50年ほど前に建てられました。

江別産のレンガ約75万個を使用して組み立てています。

 

これとは別に、50年ほど経っているレンガの建物も山の中にはあります。

 

そろそろ「見て美しい」と思われても

いい建物ではないか、と池田さんはいいます。

 

博物館の名称はこうしてつけられた!それぞれの博物館の色

 

北海道博物館は、5年ほど前に開設されました。

 

それにあたり、「愛称」となる案を公募。

最終的には、選考委員をつくり選定されました。

 

当時、札幌市の女子高生が応募した案の中に

森のチャレンガ」というものがありました。

 

これが、北海道博物館の愛称になるわけですが…

 

多くの案は、博物館でよく使われるタイプの名称が多いです。

 

たとえば…

 

大阪の国立族学物館なら、

       ↓

     みんぱく

 

 

千葉の佐倉にある国立史民族物館なら、

            ↓

          れきはく

 

 

非常にわかりやすいですよね。

 

その一方で、斬新なニックネームを

つけている博物館もあります。

 

山梨県立博物館の愛称の由来

 

都道府県博物館の中には上記のような名称ではなく、

ニックネームをつけているところもあります。

 

それは、どこの施設かわかりますか?

 

 

それは…

 

 

山梨県立博物館です。

 

 

この山梨県立博物館、どのような愛称で

呼ばれているかわかりますか?

 

 

正解は…

 

かいじあむです!

 

 

なぜ、「かいじあむ」というニックネームがついているのか。

それには、「甲斐」という言葉が関係しています。

 

山梨県は、昔「甲斐の国」と呼ばれていました。

 

武田信玄で有名な甲斐の国は、現在の山梨(甲斐)を通る道を

甲斐道」(かいじ)と呼んでいました。

 

現在でも、新宿から山梨方面行の特急列車の名前で

「かいじ」というものがあります。

 

昔の山梨を通る道、「かいじ」列車の名前にも

残っているというのはすごいことですよね。

 

歴史を感じます。

 

そんな甲斐の国と博物館のミュージアム

組み合わせたのが「かいじあむ」です。

 

 

「森のチャレンガ」に込められた未来への挑戦

 

山梨県立博物館は斬新なニックネームが特徴の名称でした。

 

北海道博物館の愛称の公募を選定していたとき、

 

『やはり、わかりやすい「どうはく」がいい』

『「きたはく」もいいね』など…

 

選考委員会の場で出た声は、やはりよくあるタイプの

名称にしようというものも多く聞かれました。

 

 しかし、議論の末最終的に決まったのが

森のチャレンガ」だったのです。

 

そんな、「森のチャレンガ」。

これには、どのような思いが込められているのでしょうか?

 

それは、未来への挑戦です。

 

まず…札幌の街に行くと、道庁の赤レンガがあります。

 

野幌の森に行けば、茶色い綺麗なレンガの建物

「森のチャレンガ」があります。

 

札幌の赤レンガ庁舎のように、野幌にも素晴らしい

建物があるということを伝えるために付けられた、この愛称。

 

そもそも、チャレンガというのはどのような意味なのか

みなさんはわかりますか?

 

チャレンガというのは、

未来へのチャレンジとレンガを掛けたもの。

 

チャレンジ×レンガ=チャレンガ

 

 

というわけなんですね。

 

未来へのチャレンジは、森の中にある

 

とても素敵な愛称ですよね。

 

北海道博物館の愛称、「森のチャレンガ」。

みなさん、是非覚えていってくださいね。

 

 

歴史的博物館から総合博物館へ

 

北海道博物館の前身である北海道開拓記念館は、

1971年(昭和46年)にオープンしました。

 

今から50年ほど前です。

 

北海道開拓記念館から名前が変わった理由は、

一体なんだったのでしょうか?

 

時代が変わっていくように、学問も日々進展していきます。

 

その中で、時が経つにつれ展示が古くなってきた

ということも名前を変更した理由の1つです。

 

名前を変更する前までは、

歴史的博物館としての役割を果たしていました。

 

歴史的博物館というのは、簡単に言うと

北海道の歴史を古い時代から新しい時代に向かって、

本のように1ページずつ読んでいくといったような感覚。

 

しかし、これからは歴史的博物館から

総合博物館へと転換していきます。

 

北海道の歴史にとどまらず、広い視野から文化や自然まで

総合的に展示するようにしたのです。

 

 

北海道博物館の特徴

 

ここからは、北海道博物館の特徴について

書いていきたいとと思います。

 

まず北海道博物館は、建物自体が森に隠れています

つまり森の上まで来ないと、建物は見えてこないんです。

 

森の上にある建物は、とても美しくデザイン的にも

非常に評価されている建物です。

 

展示は、その中にあります。

 

そういった建物を楽しむという点でも、

非常に北海道博物館は良い施設だと池田さんはいいます。

 

 

5つのテーマと2つのコンセプト

 

北海道博物館の展示には、全体で5つのテーマが設定されています。

展示内容にはそれぞれコンセプトがあります。

 

コンセプトは、大きくわけて2つ

 

1つ目は、「北東アジアの中の北海道」。

2つ目が「人と自然の関わり」です。

 

 

一見すると、自然や歴史に力を置いた展示に

見えるかもしれません。

 

しかし、テーマは分かれていてもこの2つのコンセプトを

意識して展示を組み立てています。

 

これが最大の特徴です。

 

特に「人と自然の関わり」というコンセプトでは、

豊かな自然と言われる中でも人と自然の関わりを

積極的に発信することを強く意識して展示を組み立てています。

 

 

地図で見る北海道の意外な位置

 

突然ですが、みなさん!

日本地図での北海道の位置はどこでしょうか?

 

 

そう、北です!

 

「そんなの、当然だよ」と思った方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも、北海道は北にあるというわけでもないんです!

 

 

A4判の日本地図を思い浮かべてみてください。

北海道の位置はどこにありますか?

 

 

右上ですよね。

 

 

北海道は常に1番北にあるもの、

1番上にあるものと思ってしまいがちですが…

 

これは、見慣れている地図で見ているために

そう錯覚してしまうんです。

 

北が上に書かれるから、

 

北海道は

 

  • 果て
  • 端っこにある、という風に思ってしまいます。

 

 

しかし!

 

ここで、視野を広げて地図を見るとその考え方は変わってきます!

 

北海道からアラスカへ?地図で辿る北東アジア

 

先程紹介した展示内容の2つのコンセプト、覚えていますか?

 

そのうちの1つ目、「北東アジアの中の北海道」。

 

これは、私たちが今まで見てきた日本地図の狭い見方ではなく、

それよりも少し広い見方をしてみていくというもの。

 

北海道のすぐ北には、サハリンという大きな島があります。

そのサハリンを超えると、大陸があります。

 

ここで、目線を変えて見てみると

 

 

北海道

 ↓

北方四島

 ↓

千島列島

 ↓

カムチャッカ

 ↓

アリューシャン

 ↓

アラスカ

 

 

と、大陸を辿っていくことができます。

 

 

なんと、アラスカまで辿り着くんですね!

 

 

池田さんがみなさんにオススメしたいこととして

挙げているのが、「地図の使い方」です。

 

もし地図があったら、みなさん、地図を回して

日本をいろんな角度から回して見てください!

 

日本だけが書かれているものではなく、

もう少し大きめの地図がオススメ。

 

中国やロシアなどの大陸が載っているものだけでなく、

カムチャッカ半島やアラスカまで入っていれば、なお良いです。

 

早速、地図を回していろんな角度に回してみましょう!

 

実際に地図を回してみると、

北海道がいかに重要な位置にあるかがわかってきます。

 

先述したように、北海道の北にはサハリンがあります。

 

大陸のルートから始まり、南には日本列島ルート、

千島列島、カムチャッカアリューシャンと続き、

最後はアラスカに到達します。

 

ここからわかることは、どの時代においても

北海道は交通の要所だったということです。

 

人やものがいろいろなところから動いてきた、交通の要所

それが、北海道なのです。

 

地図を回して見ただけでも、これだけのことがわかります。

それほど、北海道は重要な場所に位置していたということです。

 

 

北と南の出会いの大地

 

マンモスは、北海道でも発掘されています。

 

マンモスは、寒いところが好きな象だったようです。

 

みなさんは、ご存知でしたか?

 

一方で、ナウマン象は本州でも色々と発掘されています。

 

ちなみに、ナウマン象は北海道にも来ています

 

今のところ、日本国内ではこの2種類の象がいたのは

北海道だけと言われています。

 

北と南の、出会いの大地

 

なんだか、ロマンチックでよね。

 

北海道単体で考えるのではなく、その周辺と一緒に

考えた上で、北海道博物館の展示は設計されています。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 

次回は、北海道博物館が掲げる5つのテーマと

展示の詳しい内容についてお届けします!

 

次回もお楽しみに…♪

 

 

 

【必見!】甘酒が美容と健康に効果抜群の理由

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

今回は、西山美食話から。

秋の七草から健康、美容にまつわるお話をお伝えします!

 

 

秋の七草は、なぜ「秋」なのか

 

萩、尾花、葛(くず)、撫子、

女郎花(おみなえし)、藤袴、桔梗(ききょう)。

 

これらは、昔から日本人に愛でられてきた秋の草花です。

 

万葉集山上憶良が詠んだ歌により、

秋の七草と呼ばれるようになりました。

 

この、秋の七草

 

秋に咲く花ばかりではないのに、なぜ「秋の七草」と

呼ぶのか不思議に思った方もいらっしゃるかもしれません。

 

これらの草花が秋の七草と呼ばれるように

なった所以は、にあります。

 

かつては旧暦で、旧暦の秋は7月〜9月にあたるため

現在とは少しズレがあるんですね。

 

 

「飲む点滴」 今大注目の甘酒効果とは

 

飲む点滴」と言われ、美容と健康の観点から

女性たちの注目の的となっている、甘酒

 

甘酒には、米と麹でつくる甘酒

酒粕と砂糖からつくる甘酒の2種類があります。

 

近年注目されているのは、米麹甘酒です。

 

米を蒸して発酵させた米麹を使うので、

紛れもなく発酵食品です。

 

ところで…

 

甘酒はなぜ「飲む点滴」と呼ばれているのでしょうか?

 

みなさんは、わかりますか?

 

そう呼ばれている理由は、甘酒の成分にあります。

 

甘酒には、

 

 

これらの成分が点滴の成分と類似しているため、

甘酒は「飲む点滴」と呼ばれているんです。

 

ここで、甘酒に含まれる成分により

期待できる効果を挙げてみます。

 

まず、ブドウ糖人が生きる上で必要な

エネルギーとなる代謝を上げてくれるので、

疲労回復に効果があります。

 

また、体の免疫力を強化するオリゴ糖

多く含んでいることも見逃せません!

 

実はこのオリゴ糖、とても重要な働きをしています

 

体の免疫力を強化するだけでなく、腸内環境を整える

善玉菌のビフィズス菌を増加させる働きもあるんです!

 

さらに、ビタミンB1ビタミンB2

肌を構成するタンパク質の代謝を促進します。

 

アミノ酸を生み出すのを助ける働きもあるので、

美容効果にも期待できる、というわけですね。

 

ちなみに…

 

ダイエットにも良いとされているのは、様々な酵素により

脂肪を分解し便秘解消にも効果があるためです。

 

しかし、ここで1つだけ注意することがあります。

 

それは、甘酒を1度飲んだからといってすぐに

健康や美容に効果が出てくるわけではない、ということです。

 

継続は力なり。

 

継続することが、何よりも大切です。

 

1日の目安は、コップ1杯

これなら、無理なく続けられそうですね。

 

みなさんも、美容と健康パワーがギッシリつまった

甘酒を飲む習慣、はじめてみませんか?

 

 

生命力の強い納豆菌を、あなたの食卓にも

 

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大豆を丸ごと煮て発酵させた、納豆。

 

昔から日本人に愛されてきた発酵食品といっても

過言ではありません。

 

納豆のネバネバしたと独特なにおいを

生み出すのが、納豆菌です。

 

納豆菌は、微生物の中でも特に小さく

単純な仕組みでできています。

 

突然ですが、みなさん!

 

納豆1gあたり、どのくらいの納豆菌がいると思いますか?

 

正解は…

 

納豆1gあたり約10億個です!

 

すごい数ですよね…。

 

煮た大豆に納豆菌をかけ人肌くらいに温めると、

納豆菌はどんどん増えていきます。

 

このとき、うまみのもととなるアミノ酸やビタミンK2、

納豆キナーゼといった栄養素がつくり出されます。

 

そして、納豆菌の1番の特徴は生命力が強いこと。

 

生きるのに適さない環境になると、

納豆菌は胞子と呼ばれる種をつくって自分自身を守ります

 

胞子は熱にも強いため、その性質を利用して

種菌(たねきん)として納豆づくりに活かされています。

 

さらに、納豆のネバネバはミネラルと結合しやすく

蓄えたミネラルを少しずつ放出するため、

骨の土台となるカルシウムの吸収を高める効果もあります。

 

納豆は日本だけのものではない

 

さて、そんな納豆ですが…

 

納豆は日本だけのものでは無いということを

みなさんは知っていますか?

 

実は、インドの北東部にはそれぞれの家庭で

納豆をつくり食べるという習慣があるんです。

 

つくり方も、日本とほとんど同じです。

 

インドでつくられている納豆は「ハワイチャル」と呼ばれ、

日本の納豆よりは粘り気は少ないそうです。

 

現地の人たちは健康維持のため、

ハワイチャルをたくさん食べるといいます。

 

納豆菌により生み出される納豆パワー。

 

納豆はやはり、日常的かつ継続的に取りたい発酵食品ですね。

 

 

見直されつつある 日本の魚醤

 

醤油は、微生物による発酵を利用した液体調味料です。

 

その原料は大豆などの穀物ですが、

これを魚に置き換えると「魚醤」となります。

 

日本三大魚醤といわれているのが、

秋田県しょっつる香川県イカナゴ醤油

そして石川県の能登地方に伝わる、いしりです。

 

エスニック料理がもてはやされる中、タイのナンプラー

ベトナムニョクマムといった魚醤が注目され、

その流れを受けて日本の魚醤が見直されるようになりました。

 

今回は、根強いファンを持つ「いしり」を紹介します。

 

ごろと呼ばれるイカの内臓を高食塩濃度の環境のもと、

自然発酵・熟成させたものが、いしりです。

 

伝統的な製法を守る工場では、

2トンもある大きな木樽で仕込まれます。

 

同じく木でできた貝でかき回すのですが、

発酵が進んでいる時期に強くかき回すと

ビールのように泡が吹きこぼれてしまいます。

 

そのため軽いタッチで貝を操り、

かくはんを繰り返していきます。

 

仕込みから1年ほどで、完成です。

 

さらにまろやかさを出すため、

2〜3年熟成させるところもあるといいます。

 

いしりは、うまみ成分のアミノ酸を多く含み

血圧効果作用のあるタウリンも豊富です。

 

研究機関が調べたところ、

抗酸化作用があることもわかりました

 

つまり、うまみ成分がたっぷりで

機能性豊かな発酵食品、というわけですね。

 

鍋、貝焼き、炊き込みご飯など様々な料理の隠し味として大活躍。

 

能登の人たちは口を揃えて、

万能調味料」といいます。

 

1度使ってみたら、その個性的な味わいや

風味の虜になり、料理のレパートリーが増えるかもしれません。

 

みなさんも、1度試してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 

次回もお楽しみに…♪

 

 

 

 

【配信開始!】渡辺徹プロデュースのお笑いライブ「徹座」今年も豪華ゲスト陣で笑わせます!

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みなさん、こんばんは。

愛原 夢音です♪

 

渡辺徹さんプロデュースのお笑いライブ、

「徹座」が本日の夕方16時からついに配信されました!

 

今回は、「徹座」の詳細を中心に

渡辺徹さんの素顔に迫っていきます!

 

 

 

 

「演劇一途」と歌手の道

 

渡辺徹さんは、小泉今日子さんと同じ年に歌手デビュー。

花の82年組」にデビューを果たしました。

 

その前年の81年に刑事ドラマでデビューしたので、

花の82年組にデビューした実感がなかったという、渡辺徹さん。

 

素晴らしい年にデビューできた、と振り返っています。

 

小泉今日子さんと渡辺徹さんが出演したチョコレートのCM

これが、渡辺徹さんの歌手としての最初の活動となりました。

 

歌手として有名な渡辺徹さんですが、

長らく「演劇一途」の道を歩んでこられました。

 

所属している劇団は、文学座。現在も所属しています。

 

「演劇一途」な渡辺徹さんが歌手の道を歩み始めたのは、

先程紹介したチョコレートのCMに出演するにあたって、

「歌ってみないか」と声をかけられたことがきっかけでした。

 

音楽に囲まれて育った

 

もともと、歌については多少覚えがあったという渡辺徹さん。

 

高校生のときに、バンドをやっていたといいます。

 

ギターを持ってバンドをやったり…

「そういう世代だった」と話す渡辺徹さんですが

それには父親の存在が大きく関係していました。

 

渡辺徹さんの父親は、

アコーディオンの「流し」をしていたのです。

 

この「流し」という職業、

みなさんどんな職業かわかりますか?

 

簡単に言うと、伴奏してお客さんに

歌ってもらうことを生業にしていた職業です。

 

お客さんのリクエストには、全て答えなければなりません

 

1曲で稼げる金額は、わずか20円

 

決して裕福な家庭ではありませんでしたが、

小さい頃から音楽、特に演歌を聞かされて育ちました。

 

その影響か、渡辺徹さんは小学生のとき音楽クラブに入ります。

 

小学校の音楽クラブでは、当時

 

  • 木琴
  • たてぶえ
  • リコーダー   が主でしたが、

 

渡辺徹さんは

トランペットをやりたい!」と言って

トランペットを演奏していたといいます。

 

中学に入ると、渡辺徹さんはブラスバンド

バイトサックスで部長を務めるまでになりました。

 

このブラスバンド、実は全国のコンクールでも

優秀賞を貰うような積極的な活動を行っていたんです!

 

そういうわけで、音楽に関しては

少しかじっていた、ということなんですね。

 

すごいルーツですよね。

 

ちなみに…渡辺徹アコーディオンは弾けないそうです。

 

 

チョコレートのCMソング「約束」を

レコーディングしたとき、渡辺徹さんは

ディレクターに「あること」を言われたそうです。

 

それは…

 

 

徹、ちょっとね、演歌になってるよ

 

自分では無意識で、そのことに全く気づかなかった渡辺徹さん。

 

小さい頃からずっと演歌を聞いていて、

その音に囲まれてきた影響が、レコーディングにまで

現れていたということなんです。

 

演歌は好きでもなく興味もなかったというから、驚きです。

知らないうちに「演歌」が染み付いていたのでしょうね。

 

甘くないと父親に一喝

 

当時は今のようにCDではなくレコードだったので、

レコードデビューということになりますが…

 

レコードデビューすると聞いたとき

渡辺徹さんは父親にこう言われたといいます。

 

 

お前なんか、歌なんか出来ると思うな!甘く考えるな!

 

 

しかし、その言葉に反した行動を

渡辺徹さんの父親は取ることになります。

 

渡辺徹さんのレコードが発売されると、父親は

ステレオを買ってレコードをかけ窓を開け放ち、

農作業をしている人たちみんなに

渡辺徹さんの曲を聞かせていたといいます。

 

実家は、茨城県にある一軒家。

周囲には田んぼや畑が続いています。

 

みんなに聞かせていたと後で聞いて、

とても恥ずかしかったと話す渡辺徹さん。

 

音楽の環境に育っていた点では、

坂本さんと一緒だと話していました。

 

お笑いライブ「徹座」の見どころ

 

話題は、渡辺徹さんがプロデュースする

お笑いライブ、「徹座」に移ります。

 

渡辺徹さんプロデュースのお笑いライブ、

「徹座5 お笑いライブ2020」。

 

タイトルにもあるように、今年で5回目を迎えます。

 

 

このお笑いライブでは、渡辺徹さんが交流のある

芸人の方々を集めて行われるものです。

 

渡辺徹さん自身、お笑いがすごく好きでファンなのだとか。

 

多岐にわたる仕事をさせてもらう中で知り合った

仲間や芸人の方々と意気投合した渡辺徹さんは、

彼らと一緒にご飯を食べに行くこともあるといいます。

 

そこで、

 

これだけみんな仲良いし、なんか形に出来ないかな

 

と、思うようになります。

 

 

その思いを実現したのが、

「徹座」というお笑いライブだったのです。

 

さて、この「徹座5お笑いライブ2020」。

 

今年の出演者もとっても豪華です!

 

出演者は、

 

TKOの木本さんは、渡辺徹さんの司会のサブについています。

 

業界の人にも、

なかなかこのラインナップは揃えられないだろう」と

言われるほどの豪華ゲスト陣!

 

みんな友達なので、直接渡辺徹さんが

スケージュールを早めに言って、本人たちが事務所に伝え、

スケージュールを調整しているのだそう。

 

このお笑いライブでは、ネタをたっぷり見ることが

出来ますが、それだけでは終わりません!

 

お笑いライブらしからぬことをやりたい」という

裏テーマを、このお笑いライブでは設定しています。

 

今回は、コロナ対策のため

初めて無観客で配信を行うことになりました。

 

配信ならではの楽しみを届けたいと意気込む、渡辺徹さん。

 

配信では、芸人のど自慢大会を行います。

ゲストに歌ってもらい、優勝者を決めるというものです。

 

しかし!これだけでは普通のお笑いライブと変わらずつまらない。

 

そこで渡辺徹さんが考えたのが…

 

最下位の人には罰を与えるというもの。

 

罰というのは、なかなか珍しいですよね…。

 

これが、「お笑いライブらしからぬことをやる」と

いうことなんですね。

 

歌が上手いことで有名な友近さん。

 

ですが、他のゲストの方々も

カラオケに行くととても上手なのだそう。

 

リズム感があり、声がしっかりしている

 

それをみなさんに披露したい、と渡辺徹さんはいいます。

 

会場は、読売ホールです。

 

無観客なので客席を使ったり、楽屋などの舞台袖を

ふんだんに使うということを考えているようです。

 

舞台袖は、なかなか客席から見えない部分ですからね。

 

滅多に見られない新鮮な映像が、見られるかもしれません!!

 

「徹座5」は本日16時から配信が開始。

有楽町読売ホールから無観客で有料生配信。

 

生配信のチケットを買った方は、

明日、23日の午前12時までアーカイブを見ることができます

 

 

この「徹座」は、チケットを買えば家族でも見ることができます。

 

「徹座」はこれだけのラインナップなので、

今まではチケット発売後わずか3分で完売していました。

 

そのため、なかなか大勢の人に見てもらえませんでした

 

しかし!

 

今回、配信することで北海道から沖縄までたくさんの人に

見てもらえるので、みんなはりきっているそうです。

 

どんなお笑いライブになるのか、楽しみですね。

 

 

ブログをはじめたきっかけは?

 

最近ブログを始めた渡辺徹さん。

 

ブログを始めたのは4月とのことなので、

今月で5ヶ月目になります。

 

渡辺徹さんがブログを始めたきっかけは、

一体なんだったのでしょう?

 

それは…

 

「ブログやりなよ」と勧められたこと。

 

 

ですが、これは「ほんの小さな」契機にすぎません。

 

渡辺徹さんは、最初はブログを書くことに消極的でした。

ブログは日記というイメージがあって、

 

60歳近いおっさんが日記を書いたって、誰が読むんだ

 

と思っていたからです。

 

そのため、ブログを書くということはしませんでした。

 

ですが、ブログを始める更なるきっかけが訪れます。

それは、ステイホーム期間です。

 

ステイホーム期間に仕事が急遽中止になり

家にいることが多くなりました。

 

でも、何もすることがない

 

そこで、

 

ちょっとやってみるか

 

と、ようやく重い腰を上げて

ブログを書くようになったのです。

 

「これ、大丈夫?」は敵の戦略?

 

渡辺徹さんの妻、榊原郁恵さんが最近、

可愛らしい服を着て

 

これ、大丈夫だよね?

 

とよく言ってくるそうです。

 

渡辺徹さん曰く、

 

この質問が危険」。

 

そのように聞くときは、

大抵お洒落しているときや、ちょっと褒めて欲しいとき

 

これが「敵の戦略」だから、そこにハマってはいけない、と

いうことをブログに書いたといいます。

 

「大丈夫?」って聞かないでほしい…と、渡辺徹さん。

 

それでは、女性側はなんと聞けばいいのでしょう?

 

渡辺徹さんは、

 

「これ、似合ってるでしょ?」

 

と言えばいいのでは…といいます。

 

そしたら、「うん」と答えることになり

会話が続かない感じもしますが…

 

「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫」と答えたら、

返って榊原郁恵さんが不満顔になった、のだそう。

 

女性は難しい、と嘆いていらっしゃいました。

 

夫婦円満の秘訣は「喧嘩」と「発見」?

 

結婚して33年が経つ、渡辺徹・榊原郁恵夫妻。

交際したときも含めると、35〜36年にもなります。

 

夫婦円満の秘訣は、一体なんなのでしょうか?

 

その秘訣は、喧嘩と発見にありました。

 

喧嘩はする、と渡辺徹さん。

 

「出会ったときからずっと、喧嘩の歴史」なんだとか。

 

思ったことを全部言って、スッキリしてしまう

だからここまで続いていると思う、と話す渡辺徹さん。

 

「2人の営みというのはリアルなものがあって、

 押し引きがあったり波風が立つこともあるけど、

 これらが逆に出来なくなると、無関心になる

 

 腹が立つということは発見するということ

 

 『こんなことを考えていたのか』

 『こんなことを思っていたのか』という発見が

 ベースにあるからこそ、喧嘩に発展する。

 

 その発見や関心がなくなったら、だめだと思う。」

 

 

渡辺徹さんは、夫婦円満の秘訣をそう語ってくれました。

 

買い換えたソファー 思わぬ誤算

 

「我が家は豪邸」と、声高らかに笑う渡辺徹さん。

 

最近した、自分にとっての大きな買い物とは

一体なんなのでしょうか?

 

それは、ソファーです。

 

渡辺徹さんの家には、できてから15年ほど経つ

シアタールームがあります。

 

渡辺徹さんのご子息も友人を招いたりするので、

ソファーが古びてきました。

 

そこで、ソファーを買い換えることにしたのです。

 

今回新調したソファー。

それが予想以上に大きな買い物になってしまったそうです。

 

というのも…

 

渡辺徹さんは、そんなに高いものはいらないから

機能的なものを、と思いお店に足を運びました。

 

驚くべきは、買ったソファーの値段です。

 

購入したソファーはイタリア製で400万円もする高額なものでした。

そのソファーには、9人ほどが座ることができます。

 

お店には当然、それ以外にもソファーは

並んでいるのですが、いろいろ見て回るうちに

そのソファーを買うことになったのだとか。

 

義理の母親と同居していることもあり、乗り降りが便利で

機能性のあるものを買おうと出かけたはずが、

思わぬ誤算となってしまいました。

 

渡辺徹さんがちょっとしたせんべいを買ってくると、

 

「そんなにたくさんいらないでしょ!お金使ってもったいない」

 

という割には、

 

大きな買い物は、「これにしましょう」と

迷わず高い方を選ぶ榊原郁恵さん。

 

財布のひもは榊原郁恵さんが握っている、と

いうことなのでしょうか。

 

妻は男っぽいと話す渡辺徹さん。

榊原郁恵さんは、思い切った行動をすることがあるようです。

 

その行動力、ある意味羨ましいです…。

 

未だにそこがよくわからない」。

 

発見があるからこそ、一緒にいられるということなんですね。

 

「喧嘩するほど仲が良い」というのは、

渡辺徹・榊原郁恵夫婦のことを言うのかもしれません。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに…♪